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  5月5日 現地レポート その2

 お昼になって、食事の配給があると、みんな部屋に戻ってしまい、お助け隊は手持ちぶさたになってしまいました。遠くに出かけた子供たち以外は、みんなこいのぼりを描いてくれたし、携帯電話をつないで撮影したこいのぼりの絵の画像を指定されたところに送り込んだ後、車でお昼の買い物。宇那木さんから、甘くないパンをとリクエストを受けて車で虻田町方面に向かいました。さすがゴールデンウイーク。トンネルを超えたら、渋滞が始まっています。虻田町のコンビニを目指したのですが、豊浦の小さなスーパーで食料を買い込み、お腹をすかせている宇那木さんの元に戻ります。(中川)

 うすこいが一段落して、中川さんがお昼を買いに行ってくれました。お昼の2時から、データ放送で避難指示区域をヘリコプターから撮影した映像が放映されました。ヘリからの上から見下ろす映像は、普段歩いている街並みとは見え方がちがい、どこが写っているのか、ぱっと見ただけではわかりにくくなっていました。虻田高校の近くに住んでいるという女の方と「どこが写ってるんだろう?」「これが中学校ですよね」と言いながら見ていました。全体の街並みの中で、どこが写っているのかが分かればもう少し分かりやすいのかなとも思いました。「帰してくれれば家があるのに」という何気ない一言が、私の心に重くぶつかってきました。(宇那木)

 真ん中のモニターでは、洞爺湖側から撮している火口のライブ映像や、自衛隊が上空から撮影した避難指示区域の映像を映しています。

 廊下には、こいのぼりが張り付けてありました。その下には、自治体からのお知らせやイベント情報、励ましのお便りなどが張り出されています。

 国道37号線が渋滞気味と言う事で、早めに避難所を出る事にしました。3時過ぎに高岡避難所をでて、豊浦生活改善センターに行きました。ここには4日にも来ていたので、4日に応対してくださったボランティアの方とも会い、ラーメン店の出張ボランティアによって振る舞われているラーメンを一緒に食べながら戦況報告をしたりしました。
 その後、虻田の実家まで送ってもらい、向かいの家で今回の噴火後新たに吹き出した湧き水を中川さんに見せたりしました。(宇那木)

 渋滞は、伊達市の先から豊浦の郵便局まで続いていましたので、豊浦生活改善センターに寄ってみました。避難所の周囲に犬がいたり、札幌のラーメン屋が炊き出しサービスに来ていたり。ここでは、地元のボラセンなどが子供の国イベントを行ったので、うすこいはできませんでした。住民を訪ねてくる受付に、旧知のボランティアも自治体の方と一緒にいました。
 宇那木さんの向かいにある別荘の床下から、5月に入って急に水が湧き出したところを見せてもらいました。水道管が埋設しているところとも思えない床下の真ん中あたりからこんこんと湧き出しています。何らかの地殻変動によって、地下水の通り道ができたのか、かなりの水量です。みんなで、水路を掘って谷筋に流す作業をしたとのこと。とんでもないことが起きるんですね。(中川)

 犬が数匹いました。小屋も用意され、飼い主以外は入らないようにトラロープが張ってありました。

 センターの受付です。手前のノートパソコンには、虻田町の住民がどこに避難しているかのデータベースが構築されていました。

 「力を合わせて、復興するぞ」のポーズ(^_^;)

 水が湧き出した直後は、まわり中が水浸しになっていたとか。けっこう深く掘って水を流してます。

 家に着くと、家族はいつも通りの家族団らんを過ごしていました。こんなふうに、家族が水入らずで過ごせる事がこんなに素晴らしい事なのか、と実感する2日間でした。(宇那木)=参考・宇那木百合香「避難の時」HP=

 宇那木さんを自宅に送り届けた後、レンタカーを返しに伊達市へ。途中、5月1日から業務を再開した虻田町役場の脇を通り、37号線を行きました。やはり、まだ渋滞していました。左手の山腹には噴煙を上げる西山火口が見える避難指示区域で、渋滞しているのは何となく気持ちが悪いでした。左右の道には、進入規制のためにお巡りさんが張り付いていました。

 こぢんまりとした虻田町役場。まだ、多くの職員は避難所に張り付いています。

 路肩に車を止めると、すぐにお巡りさんが近寄ってきます。

 レンタカーを返したりしていて、伊達市長和の冨田隊長宅でのうすこいうちあげ大バーベキューにちょっと遅れてしまいましたが、ちょっと焦げ目のきついお肉や焼きそばにはありつけました。用意していただいた方々に感謝。勢いに乗って、炭の直火で暖めた缶ビールも登場し、一口いただきました。(中川)


 冨田隊長とのちょっとした記念写真

 宴が終わり、伊達の巣窟に帰る人、アイクに残る人、自宅に帰る人と、分かれていきます。私は、工藤@札幌さんと「伊達温泉」に4日間で初めてお風呂に入りに行ったのですが、午後10時50分に「外部の入浴は午後11時までですので」と断られてしまった。さすがに、ちょっと疲れが出て、未明の語らいに参加せず、シュラフに潜り込みました。

 冨田隊長のファーマーズ・バスケットから見た有珠山。左手のピークが大有珠。右にちょこんと尖っているのが昭和新山です。

 昨夜の宴の後が残る庭先で、朝のコーヒーを飲む有珠山ネットの面々。後ろがアイク。現地4日目の夜はここに寝袋を敷かせてもらいました。

 帰りは、ゆんさんと一緒だったのですが、私は荷物がある伊達巣窟に先に移動し、片づけをしつつ、午後5時過ぎの便だからお昼ごろで大丈夫だろうとたかをくくっていたら、何と午前10時40分に伊達紋別発に乗らないと間に合わないことが分かり、あわててゆんさんにも連絡して荷物をまとめて駅に向かいました。ところが、その列車は4月29日から時刻変更で午前10時15分となっていて、先に付いていたゆんさんは他のお客さんと相乗りで室蘭へ。水川さんに送ってもらった中川は、いったん伊達巣窟に戻った後、別の車で室蘭に向かい、結局、千歳空港まで合流できませんでした。

 2日の夜からの5日間、皆さんどうも、ありがとうございました。(中川)

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