InterCnet シンポジウム
日時:1998/07/04(土)13時半〜16時半
場所:神戸市教育会館501号室

水野義之レジュメ

情報ボランティアって何?


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1:阪神淡路大震災直後に何をしたか、震災をきっかけにその後は何をしてきたか この部分は、震災から1年程度のまだ熱かった時期を振り返って整理して下さい。

 阪神淡路大震災があった時、私はまだ大学で研究をしていた。昼には、もう個人メールやメーリングリスト(若手物理屋ML)で安否確認の連絡が入り始め、夕方には WWWの連絡、その日の夜には専用ニュースグループ fj.misc.earthquake の連絡があり、そのままインターネットを活用した情報支援に突入した。
 研究者は職業柄、1985年頃からインターネットを当り前に使ってきた。それを緊急災害時にも、そのまま使っただけだった。
 しかし我々もまったく予想しなかったほど、インターネットは災害時の情報流通に有用であることが分かった。これはおそらく社会的にも広く有用だろうと判断し、大阪YMCAでインターネット利用のデモを行い、大阪大学の下条先生の指導を得て、そこを拠点に西宮YMCA、神戸の地元NGO救援連絡会議の3ヵ所で、インターネットによる情報支援という形の救援活動を行った。

 やる意味があると思ったことは、情報技術者が被災の現場でそこの人達と一緒にインターネットの使い方を研究開発することだった。我々は、機動性が特に高く組織力を持った大きなNGOへの情報支援が有効と判断した。それを社会の各セクターと繋ごうという願いを込めて、自らをWNN (World NGO Network) と呼ぶことにした。 素晴しい技術力とボランティア精神を併せ持った人たちに集まっていただき、企業の協力も多くあった。その後も、幅広く関係者を繋ぎながら「インターネットによる情報ボランティアの実践的研究」を行っている。しかしこれもボランティア的なネットワークで、意欲を持つ個人の集まりであり、その意味の自由度が大事であると思っている。

1:現在の活動(お手伝い)の内容と、そこでの課題と解決の方向性は ここは、課題と解決策に重点を置いて書いて下さい。

 ここでは、(1)インターネットに関する研修会について、(2)災害情報と社会情報のあり方について報告する。

(1)「NGO/NPOのためのインターネット情報活用セミナー」をこれまで6回行った。
 これにより今まで延べ約150団体のNGO/NPO団体にインターネットに実際に触れてもらい、それを活動に生かして戴くための研修会を行ってきた。 ここでの問題は、情報化社会の進展に伴い情報技術の習得や活用方法に関するニーズが常に変化していることだ。その変化を意識しつつ、研究開発のテーマを(社会変化を先取りしつつ)設定していくことが課題であると私は思っている。
(2)災害情報と社会情報の在り方について。
 情報活用は個人のためだけにあるのではなく、人的、社会的ネットワークや情報ネットワークを通して、社会問題を解決するための一つの手段であり活動であると考えることが出来る。だから、情報技術の変化、社会の変化、社会情報の出方の変化、そして社会問題そのものの変化をどう理解し、それにどう関わるか、ということが課題とならざるを得ないと思う。
 それが誰の目にもわかる形で「出てしまう」のが、大災害時の情報の在り方だ。そのため、逆に誰にも分かりやすい大災害時の情報を調べることによって、社会的なネットワークをより強いものにすることが出来るのではないか、と考えている。また災害情報のあり方を調べることで、社会の情報化のあり方や社会そのものも調べることも出来る。私はこのあたりが課題であると思う。阪神淡路大震災から学べることはたくさんあるが、そこから我々が学んだことの意味は、実は非常に幅広く、今後の社会にも生かせると思っている。

1:自分が考える情報ボランティアとはそれぞれ、考え方、とらえ方が異なると思います。情報Vは何をするか、情報Vの必要スキルは、など。

  • 社会情報の在り方に対する幅広い視点や批判的な視点を持とうと努力していること。
  • 普通にインターネットが使える(例えば電子メールが使える)。
  • ボランティア精神を持っている。
  • 何が必要な情報か、判断力がある。
  • 欲しい情報を自分で探せる。
  • 情報共有の意味をわかっている。
  • 「情報を出す所に、情報が集まる」ことを理解し、実践している。
1:情報ボランティアは社会でどんな役割を果たすか、情報Vが活動する社会はどんな社会になるのか。上のテーマの連続になりますが、果たす役割にとどまらず、情報Vがいることで社会がどう変わるか、変わって欲しいか。多少夢のような話でもいいと思いますが、展望して下さい。

 大衆的なマスメディアは世論形成において、もちろん重要なのだが、そこに自分が欲しい情報があるとは限らない。しかし大衆性からくる限界(売れること、専門性の限界など)はどうしようもない。しかも、情報を欲している側の方が、専門性が高いことも往々にしてある。それは、例えばUNIXの普及やインターネットの発達そのものと同じである(ボランティア活動の結果が世界標準になった)。
 その背景には、専門業者より高い技術を持つアマチュアの存在がある。このような個人の存在が、情報ボランティアだと言える。今後も、情報公開の流れと大衆的なインターネット発達の結果、問題意識さえあれば、どんな情報でも自由に取れる社会になっていくだろう。
 もちろん、そのことは情報の専門業者の重要性(見識、取材力、編集力、世論形成の影響力など)を否定するものではない。多様なメディアを人々が必要としており、情報ボランティアが収集し編集する情報もその一つだと思う。

 情報ボランティアは「専門性の細分化の問題」に対する問題意識にも関係があると私は考えている。現代文明社会を根底から支える科学技術が日本に入って来た19世紀の末には、すでに西欧の近代「科学」(分科の学)は専門分科を始めていました。20世紀になってもこの傾向はますます進行し、例えば「学協会」の総数は1200団体を超え、専門分野の数は何万にもなり、誰にも全貌が分からないのが現状だ。
 そういう学問の在り方が学校の在り方を規定し、それが社会への人材供給を行っている。従って、現代社会の多くの問題が、実は、このような大学における学問研究の「専門性の細分化の問題」とも関係がありそうだ、ということが分かる。

 これに対する一つの回答が「情報ボランティア」だ。つまり、情報ボランティアとは、必要な情報を分野を超えて繋げられる広い視野と関係性に対する感覚を持ち、同時に自分の専門性を持つという意味で、「専門性を持ったジェネラリスト」と呼べるだろう。
 社会の様々な問題に対して、そういう活動の必要性を直観的に感じたり、そのような活動の意味を理解して協力できる人たちの存在は、現代社会に生起する困難な諸問題への一つの視座、あるいは「専門家」の一つの在り方、を示唆している。 「ボランティア」という形には、自己責任と主体性の原理が内包されており、現代社会で失われた様々な価値を回復する方向性の一つとしても、面白いのである。

水野義之
1998年6月17日 10:00

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