公開シンポジウム



「経験から語る災害時のボランティアネットワーク」


主催:「福井で語ろう 実行委員会」

 呼びかけ人 阿部 好一(災害救援ネットワークみえ)、伊永 勉(災害救援研究所) 
       廣井 脩(東大社会情報研究所教授)、中川 和之(時事通信社記者)  

後援:福井県
企画・事務局:災害救援研究所
日時:6月27日(土) 13:45〜17:30
場所:福井県産業会館大ホール


プログラム


13:30
 開場
13:45 開会 呼びかけ人挨拶 阿部好一
         歓迎挨拶    東角 操(日本青年会議所福井ブロック直前会長)

14:00 「ネットワークは経験を共有することから始まる」

  1)阪神・淡路大震災での被災地内救援活動の経験から
  ◆村井 雅清(被災地NGO恊働センター)

  2)阪神・淡路大震災での避難所での活動の経験から
  ◆黒田 裕子(阪神高齢者・障害者支援ネットワーク)

  3)雲仙・普賢岳の噴火災害での救援活動の経験から
  ◆高木 浩徳(島原ボランティア協議会)

  4)北海道南西沖地震の奥尻島津波災害の救援活動の経験から
  ◆西田伊太郎(天理教災害救援ひのきしん隊前本部長)

15:15〜15:30 休憩

  5)日本海重油災害の重油回収活動の経験から
  ◆北野 幹子(三国町社会福祉協議会)

  6)日本海重油災害でのメーリングリスト活動の経験から
  ◆沢野 伸浩(NAD北陸・星陵女子短大)
 
  7)日本の国際救援の経験から
  ◆山本愛一郎(国際協力事業団(JICA)前国際緊急援助隊業務課長)

  8)安心・安全な街への活動の経験から
  ◆小田 啓二(ガーディアンエンゼルス・元ニューヨーク本部長)

  9)次の災害を見据えた三重での経験から
  ◆阿部 好一(災害救援ネットワークみえ)

17:00 フリートーク

17:30
 閉会
  ●司会・進行 中川 和之

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このシンポジウムの目的

 阪神・淡路大震災で140万人と言われるボランティアが活動し、災害救援のボランティア活動の役割が注目されました。また、昨年の日本海重油災害でもその役割が再確認されました。
 そこでは、さまざまな形でネットワークが形成され、ボランティア団体・グループ同士や行政を含んだ関係機関などとの連携が模索されました。また、各地で平常時からの災害救援のためのネットワーク作りがさまざまな形で進められています。福井県でも、福井地震50周年を期に、福井県災害ボランティア連絡会が発足し、平常時から互いが知り合い「顔の見える関係」をどう作るか、安心・安全なまちづくりをどう進めるかなどについての取り組みが始まろうとしていると聞いています。
 そこで、阪神・淡路大震災以前の災害も含めて、各地でボランティアを中心にした災害時のネットワークを作ってきた経験者に、それぞれの活動経緯などを報告してもらい、各地での実践や福井県での今後の取り組みに役立ててもらおうと、呼びかけ人が中心になってシンポジウムを企画しました。
 なお、今回のシンポジウムで報告される方は、それぞれの団体を代表してお話されるのではないことをご了承ください。

報告資料


1)阪神・淡路大震災での被災地内救援活動の経験から
 ◆村井 雅清(被災地NGO恊働センター)
1)ネットワークの発足の経緯
 1995年8月、避難所から仮設住宅への移行に伴って発生した生活支援の必要性から仮設住宅支援連絡会が発足。その後阪神・淡路大震災「仮設」支援NGO連絡会と改名し、1998年4月1日より被災地NGO恊働センターとして活動を継続(加盟団体25団体)している。
2)その必要性や意義
 仮設住宅から全ての被災者が移行されるまでは、生活支援を基本とし、かつ被災者の自立を支援し続けることは必要だ。災害時におけるコミュニティ形成のノウハウを確立することは大いに意義のあることだ。
3)現在の活動や今後の取り組み
 生活全般の支援を継続しているが、主に生きがい・仕事づくり事業として「まけないぞう」事業を推進している。今後は市民が主体的に参加する市民社会の形成に向けて、被災地のNGOとして役割を果たす。

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2)阪神・淡路大震災での避難所での活動の経験から
 ◆黒田 裕子(阪神高齢者・障害者支援ネットワーク)
1)ネットワーク発足の経緯
 避難生活に関連した犠牲を地震後の2次災害と位置づけ「長田地区高齢者・障害者緊急支援ネットワーク」を組織し、災害弱者の救援に務めてきた。活動は、高齢者の緊急保護・避難宅高齢者への相談活動などを中心とした。
 4月に入り、仮設住宅への入居者が増えるに従って、孤独死という新たな社会問題が発生した。これは震災の3次災害と呼んでもいいかもしれない。その中で、何が必要で何ができるかを考えて仮設住宅(1,060世帯、1,800人)に入り、活動した。
2)その必要性や意義
 活動を展開するに当たっての3つの目的を持って入った
 (1)1人暮らしの高齢者を孤独死させない。
 (2)高齢者・障害者を寝たきりにさせない。
 (3)仮設住宅を住み良い生活の場とすることを目的に、長田支援ネットワークを阪神高齢者・障害者支援ネットワークへと名実ともに衣替えした。
3)現在の活動や今後の取り組み
 訪問看護、医療相談、福祉相談、ホームヘルプサービス、カーボランティア、コミュニティ作り、教育提供の場(体験学習)、情報提供の場。
 今後は、仮設の中でのグループホームや、アルコール依存者に対する中間施設的役割を展開する。具体的な課題としては次のようなことが想定できる。
 ・生きがいのあるまちづくりを目指した、地域コミュニティの育成
 ・高齢者が安心して暮らせることのできる住宅問題の解消
 ・24時間ホームヘルプサービスの拡充、痴呆症を対象にしたデイサービスの拡充など福祉サービスの拡充
 ・介護を要する高齢者、障害者などのための施設の整備
 ・高齢者の住宅生活を支える制度、サービスの未整備という緊急事態に対し、受け皿としての老人ホ ーム、老人保健施設の拡充
 仮設住宅の問題は、各区/各地域の高齢者・障害者福祉、地域福祉問題とリンクして捉えるべきである。それらの潜在的ニーズが震災によって露わになった。
4)今後の課題
 人々が今を「いきる」ために日常生活の中で困ることがないように、ヘルパーの派遣団体、福祉関係、医療機関、訪問看護ステーションなどのネットワークを作り、地域でのプログラムが住民に反映されることが望ましい。そのことが、30年後の高度な福祉社会を約束し、「医療」「福祉」「保健」の連携を図り「福祉と生きたまちづくり」につながるのではないか。

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3)雲仙・普賢岳の噴火災害での救援活動の経験から
 ◆高木 浩徳(島原ボランティア協議会)
1)ネットワーク発足の経緯
 91年6月3日の大火災流で43人の犠牲者を出した2日後に発足した。地元の地域活性化グループ20数団体のネットワークが地域活動の中で既にあった。地域活動の延長線として自分たち民間でできることを始めようと、避難所のトイレの掃除から始め、救援物資の仕分け、配布、土砂出し、流木焼却、こころの電話、土嚢詰め、各種慰問の受け入れ、全国からの個人・団体ボランティアの受け入れ(延べ20,000人)、役所との連携など、島原には1つのボランティア団体のみで、すべての対応を行ってきた。また、受験を控えた子どもたちのために、無料の学習所も開設。3年近くを避難者、被災者のための直接的活動として行ってきた。
2)その必要性や意義
 奥尻、阪神、鹿児島、対馬など次々に発生した災害に対応するためには、自分たちだけの活動に限界を感じ、全国に仲間のネットワーク作りを行い、自分たちが帰った後の救援活動を他のグループに引き継げるような形を作りたい、作らなければならないと、阪神の時から思っていた。最後には、やはり地元の人たちによる活動グループにお任せして、長期的にサポートするといった形でないと続けられないと、島原の活動を通じて実感した。
3)現在の活動や今後の取り組み
 地域内で、災害で得た教訓を生かして、子どもたちへのサバイバル訓練や、一般への救急救命講習会、シンポジウムなどを行って、災害に対しての備えを図っている。他の地域との連携(ネットワーク作り)も行いながら、全国の災害に対し、この支援活動や救援活動ができるように支援体制作りを図っている。
4)今後の課題
 専従者の給与の捻出や活動資金の調達に対して苦慮している。全国のネットワーク化に対しても、具体的な手法についての詰めがないままなので、もう少し活動方法や具体的役割などについての詰めが必要かと思う。ボランティアリーダーの要請についても、まだまだこれからの取り組みになる。
5)その他
 現在官民一体となった40数団体で「雲仙100年の森作りの会」を作って、荒れた雲仙の山肌に木を植えようと、山から種を拾って10万本の苗を作っている。来年から植林を始め、今後繰り返し苗を作っては山に木を植える作業を数十年単位で続けていく。ボランティア協議会が事務局、代表を兼ねて100年の森ができあがるまで、この活動は続けられ、受け継がれていく。

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4)北海道南西沖地震の奥尻島津波災害の救援活動の経験から
 ◆西田 伊太郎(天理教災害救援ひのきしん隊前本部長)
1)活動を行う中で、他の組織・機関などとどうネットワークを作ったか
 町長との知己があったので、ぜひ入って欲しいとされ、奥尻町サイドとの関係がポイントになった。民間団体、宗教団体なので、これまでも強力な連帯関係はなかった。
2)災害救援などのどの場面で必要になったか
 がれきの整理とその焼却を担当したので、消防、警察との連携が必要だった。
3)今後、どのようにネットワークを広げようとしているか
 今後は、積極的にネットワーク作りに参画したいが、リーダーシップをどこが取っていくかが課題になるだろう。

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15:15 15分間休憩
15:30

5)日本海重油災害の重油回収活動の経験から
 ◆北野 幹子(三国町社会福祉協議会・重油災害三国ボランティア本部)
1)ネットワーク発足の経緯
 1月11日重油災害三国ボランティア本部設置から3月31日解散までの期間。三国ボランティア本部を立ち上げるまでは、三国町社協は、三国町の対策本部と現地の民間ボランティアセンター(日本災害救援ボランティアネットワークと、日本青年会議所福井ブロック協議会)などとネットワークをまめに話し合うことで作った。
 三国ボランティア本部を立ち上げ後は、ボランティアの受けて(地元住民、漁協関係者、観光協会関係者)やボランティア本部内スタッフなどとのネットワークも加えてコーディネートした。
2)その必要性
 ボランティア本部立ち上げまでの4〜5日間と、立ち上がった後、本部活動をする上での日常随時。
3)今後の活動や課題
 三国町社協で進めている地区ふくしの会活動(ふれあいのまちづくり事業)やボランティアセンター事業の中で、災害時の登録やボランティア育成、ネットワークを進めていく。また、三国ボランティア本部事務局資料室の整備の中で、活動したボランティアの記録を残していく。

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6)日本海重油災害でのメーリングリスト活動の経験から
 ◆沢野 伸浩(NAD北陸・星陵女子短大)
 昨年1月2日、日本海を航海中のロシア船籍のタンカーナホトカ号が荒天の中で船体が2つに割れ、船首部分が積み荷のC重油を流出させながら三国町安島に漂着した。福井県をはじめ日本海側の地方が大騒ぎになったのこの災害も、他の災害と同様に時間の経過と共に急激に風化の過程をたどっている。
 しかし、この災害が発生した数日後に作られたインターネットの電子メールによる油問題専門の情報交換システム(オイルメーリングリスト)のおかげで、その当時のやりとりがそのまま現在でも参加者の多くのコンピュータに保管されているだろう。そして、この電子メールによる情報交換のシステムは、現在まで引き継がれ、流出油問題に対応する国の姿勢を映し出す、といった新たな役割を図らずして担うことになった。
 事故発生後の混乱期、その後の回収作業、残された問題、今後築くべき防災体制、これまでに交わされ、戦わされた情報・論議は、そのどれを見ても「油災害」だけに適応されるべきものでない。また、これらの活動は全ていわゆる「ボランティア」によって支えられているものであり、既に我々のレベルは、いかなる国・自治体レベルの機関による調査・情報収集能力を超えたものとなっている。
1)ネットワーク発足の経緯
 研究者として、知人同士を中心に今回の重油災害の関連情報をやりとりする際に、個別の電子メールを送るより、メーリングリストの方が便利だという理由で、大学のサーバーにオイルメーリングリストを開設。自由な入会にしていたため、研究者だけでなく、行政関係者、ボランティア、メディア関係者などに広がり、2月下旬に芦原で緊急シンポを開催。昨秋には、メーリングリストで得られた知恵や知識などを継続していこうと、より専門家がかかわることが求められる環境・技術系の災害救援のあり方を探るためのNAD北陸をスタートした。
2)その必要性や意義
 当初は明確な目的はなかったが、対策に従事している関係者もメーリングリストに含まれていたため、やりとりされる専門的な情報、海外での同種事故の際のノウハウなどが、一部で実際に行かされたこともあった。ただ、現地で回収に当たるボランティアらに対し、現場で役立つ情報を十分送り出すことができなかったし、行政との連携も十分取れずに結果的にその場しのぎのパニック的な回収、処理がなされてしまったのは事前からのネットワークがなかったからだと考える。
3)現在の活動や今後の取り組み
 油の流出事故は、海に囲まれた日本ではしばしば起きている。NAD北陸として、同種災害が起きたときに、より効果的で環境へも生活へも負担の少ない回収や事後対策がどうあるべきか、ボランティアらと研究者らで学習会を重ねていこうとしている。また、海外での同種事故対策が、ボランティアたちの活動を前提に作り上げられていることを参考に、国内でも同様な対策がとられるよう、研究を重ねて提言をしていく。
4)今後の課題
 環境・技術災害とでも呼ぶべき自然災害とはカテゴリーの異なる災害に対応するために、米国をはじめ諸外国では実にシステマテックな体制を整えている。日本の現状とこれらを比較すると、残念ながら大幅な遅れを感じざるを得ない。
 NAD北陸は電子メールという情報交換の場から生まれたものである。今後は「情報」の整備や単なるネットワークの構築に留まることなく、いかに収集された情報を活かした具体的かつ有効なアクションを起こすことができるのか、我々に課せられた最大の課題である。

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7)日本の国際救援の経験から
 ◆山本 愛一郎(国際協力事業団(JICA)前国際緊急援助隊業務課長)
1.災害援助は国民どうしの助け愛=神戸から世界へ恩返し
2.災害援助に官民の壁なし=ビアク島で力を発揮した西宮方式
3.お茶の間からもできる災害援助=北陸の温もりをイラン地震へ
国際緊急援助隊のネットワーク
市民団体=全国すべての市民 JICAの支部/センターが窓口
医療機関=全国約500人の医師、看護婦、会社員、自営業の人がJICAにボランティア登録
国際機関=国連人道問題調整局(OCHA), 世界保健機構(WHO)など
海外機関=世界約70箇所のJICA事務所をつうじ各国政府の災害
     救援機関と情報交換

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8)安心・安全な街への活動の経験から
 ◆小田 啓二(ガーディアンエンゼルス・元ニューヨーク本部長)
1)活動を行う中で、他の組織・機関などとどう連携を作っているか
 ガーディアンエンゼルスは、今は東京中心に、公共の場の安全を提供するボランティアを行っており、地元といっしょになって自主的なパトロール、お節介をやっていこうと活動をしている。行政側、特に警察と防犯協会と連携している部分がほとんど。ガーディアンを手本にパトロールする団体など、他のボランティア団体とも連絡を取り合って、ノウハウを提供している。池袋や大久保の地域の団体にもメンバーを送って一緒にパトロールしたり、防犯協会のイベントで一緒に活動している。PTAの活動の指導などにも行っている。
2)どの場面で必要になったか
 まず、パトロールをする上で、誰のためにやるのかということを、多くの関係者に認知してもらうことが必要。活動の市民権を得るために、警察はどうしてもまず連携しなければならない相手だ。通報しても信じてもらえないし、捕まえたと言ってもけんかと間違えられるようでは困る。まず、警察に認めてもらえないと活動が不可能だが、警視庁サイドとも連携が取れている。
3)今後、どのようにネットワークを広げようとしているか
 活動が認知されてきたので、警察を通じたり、マスコミなどを通じて、アプローチが来ている。こちらは待ちの姿勢で、こっちからの働きかけは特にしていない。広く活動は知ってもらおうと思うが、積極的に連携先を広げようとはしていない。今は、人材の発掘、育成に力を入れている。こういう場に参加して、災害時、緊急時の安全面を確保するために被災地でどういうことをやればいいのか、地域と連携するにはどうしたらいいか、初期に行う救援活動の手法も含めて学びたい。今は、大阪と仙台で活動をスタートさせる準備をしている。

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9)次の災害を見据えた三重での経験から
 ◆阿部 好一(災害救援ネットワークみえ)
1)ネットワーク発足の経緯
 (1)1995.3.18「災害ボランティアネットワーク鈴鹿」誕生。この指とまれ方式、新聞で呼び掛け。全県下からボランティアが集まった。
 (2)このメンバーが各地元で独自に活動をスタートさせたのが原型。
 (3)各ボランティアを結びつけた”共通のツール”が存在した。
 (イ)被害想定、合同机上訓練(DIG)、(ロ)福井の重油災害に向けた取り組み…情報の共有化、ボランティアバスの実現、(ハ)行政、専門家などとのハイタッチな交流
2)その必要性や意義
 (1)”伊勢路にあって物怖じするな”昔から伝わるこの概念の打破
 (2)足元の防災としての防災マップ
 (3)楽しさ、豊かさ、成長
3)現在の活動や今後の取り組み
 (1)30−40年後の東南海地震を見据えて。次世代の子供たちに災害救援の知恵の継承を
 (2)足元の防災として、DIGの町内版演習の実施
4)現在や今後の課題
 (1)知識や知恵を”県民防災塾”で
 (2)ネットワークは面白く、楽しく、対等で骨太
 (3)ネットワークを結びつける”糊(のり)”とは何か

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17:00 フリートーク(会場との意見交換)
17:30 閉会

司会・進行 中川 和之(時事通信社記者)

 なお、28日午前中、全国からの参加者と一部の地元の方を中心に、廣井教授を含めた数十人規模で、「どう作ろう 多彩な広がり」と題した円卓ディスカッションを、福井県中小企業産業大学大教室で行います。


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