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時事通信社 解説委員 中川和之

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1956年1月25日 岐阜県大垣市でこの世に出る
 61年4月   父親の転勤で兵庫県芦屋市に転居
        芦屋市立岩園幼稚園入園
 62年4月   芦屋市立岩園小学校入学
 63年4月   父親の転勤で再び大垣市に転居
        大垣市立興文小学校転入学
 64年4月   父親の転勤で再び芦屋市に転居
        芦屋市立岩園小学校転入学
 67年4月   芦屋市立山手中学校入学
 70年4月   父親の転勤で横浜市に転居
        横浜市立浜中学校転入学
 71年4月   神奈川県立緑ケ丘高校入学
 73年4月   父親の転勤で西宮市に転居
        兵庫県立芦屋高校に転入学
 74年3月   同高校卒業、浪人へ、芦屋市に転居
        浪人時は予備校にあまり行かず、新聞配達でバンド活動の費用稼ぎに終始
 75年4月   日大芸術学部放送学科入学
        3年半に渡り、友人とのバンド活動、音楽事務所設立などを行う
 81年3月   同大卒業
 81年4月   時事通信社入社 社会部配属
 83年4月   名古屋支社へ転勤。4年間で県警、名古屋市、経済を担当
 84年9月   長野県西部地震を取材
 86年3月   結婚(朋子)
 87年4月   社会部に転勤
 同年5月   科学班遊軍として気象庁(第1次)などを担当
 同年8月   第1子誕生(陽子)
 88年4月   警視庁2課担当
 同年9月   昭和天皇の病状悪化で宮内庁担当に
 同年11月   リクルート事件の捜査本格化で検察担当に
 89年5月   第2子誕生(宏之)
 同年6月   警視庁2課担当に戻る
 90年4月   国税庁担当
 93年4月   遊軍
 同年8月   科学班遊軍として気象庁(第2次)などを担当
 94年3月   地震学会会員になる
 同年4月   週刊時事(同年9月にエルメディオにリニューアル)に異動
 同年12月   エルメディオ販売不振による休刊に伴い社会部遊軍に復帰
 95年1月17日 兵庫県南部地震が発生、取材応援チームとして神戸入り,13日間滞在
 同年4月   厚生省担当
 同月20日   編集を担当した「大震災を生き抜く」(時事通信社編集局編)が発行
 96年4月   遊軍・気象庁担当(第3次)(同年2月から1年間時事通信労組委員長)
 97年4月   労働省担当
 同年5月   科学班遊軍として気象庁(第4次)などを担当
 98年4月   神戸総局に転勤
 99年2月   日本災害情報学会設立呼びかけ人
 同年4月   (社)日本地震学会広報委員会委員・ないふるメーリングリスト世話人代表
 同年8月   1999トルコ大震災支援委員会世話人、トルコ北西部地震・緊急救援委員会(NGO'S KOBE)常任委員(以後、台湾・エルサルバトル・インド救援委員会各常任委員)
2000年4月   interCnet監事
01年5月   日本災害情報学会hp小委員会委員
02年4月   (特)海外災害援助市民センター(CODE)監事
同年5月   時事通信社web編集部に転勤
同     (社)日本地震学会将来検討委員会委員
03年5月   (社)日本地震学会普及行事委員会委員長、日本災害情報学会広報委員会委員
04年11月   (特)東京いのちのポータルサイト理事
05年6月   時事通信社編集委員(併任)
同年12月   時事通信社「防災リスクマネジメントWeb」編集長
06年10月   横浜栄・防災ボランティアネットワーク運営委員
08年5月   日本ジオパーク委員会委員
09年6月   ボーイスカウト横浜南央地区副コミッショナー(11年5月まで)
10年8月   静岡大学防災総合センター客員教授
同月     「防災リスクマネジメントWeb」の年度末でのサービス終了が役員会で決定
11年3月11日 東北地方太平洋沖地震が発生
  4月15日 「防災リスクマネジメントWeb」サービス終了
同年5月  時事通信社山形支局長
13年7月  時事通信社編集局付兼解説委員
15年4月   ボーイスカウト横浜南央地区副コミッショナー
15年9月   ボーイスカウト横浜96団団委員長
16年4月  時事通信社シニア嘱託 解説委員

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