大震災から1年、どこまで進んだ防災対策
「時の眼」第 回 日本理容美容教育センター 研究紀要

95年12月執筆

 時事通信社       
社会部科学班 中川和之



 五千五百二人の死者を出し、一時は三十万人を超える人が避難所暮らしを余儀なくされた未曾有の大災害、阪神大震災から一年。関東大震災以来の都市型の地震災害に、日本中で防災に関する関心が高まり、様々な防災対策の見直しが進められている。当初は、首相官邸の危機管理ばかりに焦点が当たったが、長期に渡る避難所生活や、生活復興の難しさなど、十分な議論がされていない分野も少なくない。一年たって、何が見直されたのかをまとめてみた。

 まず、地震が発生して大きな被害が出た直後に、誰が命を救ってくれるのだろうか。問題にされた自衛隊の出動要請については、災害対策基本法が一九九五年秋の臨時国会で改正され、それに基づいて震度5以上の揺れが観測された際には、都道府県知事からの要請を待たずに、自動的に部隊を出動させるよう、防衛庁の防災業務計画が改訂された。これまで、憲法論議の中で自治体が防災訓練への自衛隊の参加を敬遠してきたが、各地で初めて訓練に加わった。首都圏の大地震の際の派遣計画も、阪神大震災を機に見直し、応援態勢を強化する方針だ。

 また、今回は混乱した地震発生直後の情報収集手段は、地震の規模をコンピューターで分析して、直ちに被害を推定するシュミレーションするシステムの開発が国土庁で行われている。これが完成すれば現地からの情報が不十分でも、より早く効果的な災害救助の動きが可能になる。

 しかし、あくまでも自衛隊や消防に任せれば、すべて助けてもらえるわけではない。東海地震に備えて災害先進県と言われる静岡県の防災対策の責任者が漏らした「いくら対策を準備していても、地震直後は行政機構は混乱する。自分で自分の身を守ることを基本に考えて欲しい」という言葉は重い。改訂された国の防災基本計画でも、九五年版消防白書も「自分で守る」意識の必要性を指摘している。

 救助の手よりも早いのは、自分自身の努力であるのは当然で、年間千回を超える有感地震がある地震列島日本に住む以上、覚悟しなければならない。兵庫県の監察医の調査では九割以上が建物や家具の下敷きでほぼ即死だったことを考えると、自分が住む住宅の耐震性の強化や、家具の固定など、起きる前の自己防衛が、最大の対策だろう。

 次に、生き延びた人たちへ救助の手は、どのように差し伸べられるのだろうか。ここでは個人の自助努力が弊害になることもある。阪神大震災で各地から応援に駆けつけた消防車や救援物資の運搬が、被災者自身や個人的に応援に向かう自家用車の列による渋滞で、活動の制限を受けた。この点は、警察庁で災害救助に必要と認められた車両に出す通行証を持つ車以外の通行を厳しく規制する方針を打ち出した。

 今回、自家用車が利用された原因に、電話などが通ぜず、互いの安否確認ができなかったという問題があった。これについてはNTTが、九六年度末をめどに災害時の安否確認用の電話サービスを開始することを検討している。一一〇番や一一九番のような特定の番号で、自宅の電話番号を暗証番号にし、安否確認ができる仕組みにする予定だ。被災した人は「全員無事」などの安否情報を登録し、安否を知りたい人はこのシステムの番号に電話をかけた後、安否を知りたい人の電話番号を入れて確認することが可能になる。企業でも、自社内で同様の連絡システムを構築する動きが出ている。

 被災直後の医療対策は、今回でも日赤や国立病院など公的機関のほか、多くのボランティアの医師たちが現地入りしたが、どの地域にどれだけの医療スタッフが必要かなどの情報集約が不十分で、避難所の被災者から無計画に来るボランティアなどの巡回診療に苦情の声も上がった。これについては、厚生省が現在の救急医療の情報システムを更改し、地元の保健所を中心に被災地の医療の過不足情報をオンラインで集約できるシステムを構築。全国から支援に来る医療スタッフを、外科的治療からメンタルケアまで、時間的経過で変わる被災者に必要な医療対策を効率的に行うことにしている。

 被災者の生活の場となる避難所の多くが学校となった。文部省の協力者会議が九五年十一月にまとめた第一次報告では「児童生徒の安全確保以外に、一時的な避難所としての役割を果たすため、防災機能を強化する必要がある」とした。今回の経験では、被災直後に学校側、特に校長や教頭が、高齢者を配慮した部屋割りなど適切な運営ができたところは、長期的に混乱は少なく、初動期の学校職員の役割が大きいことが分かっている。

 しかし、今回の報告では学校側の運営は「緊急避難的な対応」とし、あくまで「協力・援助すべき立場で、自治体の災害担当部局の担当職員の早急な派遣が必要」としている。ただでさえ少ない災害部局の職員を、すべての学校避難所に派遣するのは現実的な解決策とは言えず、どちらかといえば学校機能の回復を重視した内容で、実際の災害時にどれだけ機能できるかが課題となろう。

 ボランティアが大活躍した経験から、災対法にボランティアとの連携強化などが盛り込まれた。行政ではできない部分で被災者を援助したボランティアも少なくなかったが、多くは避難所運営や物資の配給など本来は行政がやらなければならない仕事を分担した。しかし現地では、被災者が自立するのに伴い、ボランティアの役割をめぐって行政、被災者、ボランティアが対立する地域も出た。

 このため、どのように連携するのがいいのか、国や自治体、ボランティア団体との間で模索を続けている段階だ。いずれにしろ、今回のような大規模な都市型災害の場合、ボランティアの活動を前提にしないと不可能なのが現実であり、自分の仕事の領域に第三者が踏み込むのを嫌う行政職員の発想の転換が求められている。

 生活を取り戻すための手掛かりとして、不可欠な仮設住宅については、日頃から設置できる場所の選定を進めておくことが、防災基本計画で定められた。しかし、建築基準法の制限の二年以内にすべての仮設住宅を撤去することは不可能なのが阪神の現状。長期的に生活の場となるのが、大規模災害時には必然なのにもかかわらず、工事現場の飯場のようなプレハブがふさわしいのかどうかなど、仮設住宅の質や「仮設団地」のあり方などについては、実際に建設する側に近い建設省と、発注側に立つ厚生省との狭間で、十分検討されていないのが実態だ。その以前の避難所の設備や、被災者への食事提供のあり方などは、災害救助法を所管する厚生省で、ようやく検討がはじまったばかりだ。

 また、雲仙・普賢岳や北海道南西沖地震の被災者は、義援金の分配などで全壊家屋一戸当たり千万円前後の支給があり、国の「税金で天災への個人補償は行わない」との原則の元でも、生活復興が可能になった。阪神では義援金の総額は多かったものの、被災規模も膨大で、一世帯当たりでは二桁も額が少なくなった。このため、家を建て直したりマンションの建て直しや補修を行おうとしても、ダブルローンの問題などを解消できず、生活復興が容易ではなくなっている。

 このため、首相の諮問機関の防災臨調が、自治体間の基金を提言。そこで何らかの個人補償ができないかどうかの検討が進められている。この基金の提言は、雲仙・普賢岳の災害時に国土庁から提言されたこともあったが、当時は政策には反映されなかった。今回は、自治省や都道府県知事会で検討しているが、結果が注目されている。


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