住民主体の災害図上訓練、各地に広がる
「地方行政」99年1月18日号(時事通信社刊)

時事通信社
        神戸総局・中川和之
        津支局・伊藤一馬

【自衛隊のノウハウを活用】

 阪神大震災以前は、住民も参加する防災訓練と言えば、避難訓練参加の名目で自治会単位で動員された住民が、消防や警察などの展示訓練を見学し、消火器の練習を行うのがせいぜいだった。そこで想定された住民とは、行政や警察、消防、自衛隊、日本赤十字など専門機関が実施する「救援サービス」の受け手との位置づけだった。
 ところが阪神大震災では、倒壊した家に閉じこめられた多くの人は家族や近所の人の手での助け出され、避難所の運営もボランティアや住民らが中心だった。大規模災害時には、行政など専門機関による救援の限界が明確になり、住民自身が自らの身を守り、地域を守り、さらに他の地域を救援する活動に参加していくことが求められている。
 各地の自治体での一般的な取り組みは、まず災害の危険性を知るために土砂崩れや洪水など災害危険度を地図に示したハザードマップの各家庭への配布や、住民を対象に防災に関する専門家やボランティア経験者の講演会を開催だ。さらに自主防災組織のリーダーを育てようと、継続的な市民講座も開かれている。その中で注目を集めているのが、自衛隊の訓練ノウハウを使って住民が主体で行う「災害図上訓練」だ。

【地図を取り巻き飛び交う大声】

 地図を覆った透明のビニールクロスに被害状況が次々に書き込まれる。「交番へ通報」、「二次災害に注意」などと書かれた張り直しできるメモ用紙が、その上に並べられていく。地図を取り巻く参加した住民らから「ここは土砂が崩れる場所だから通れない」、「橋が落ちている」、「ここで人手が足りない」などと大声が上がる。自衛隊の災害机上演習さながら。自治体や消防の担当職員や専門家は周囲でサポートしたり、一緒になって悩んだり。時には、計画していた避難所に被災者が入りきらないケースも判明する。
 訓練に必要なのは地図と透明のビニールクロス、それに油性や水性のペン、大きめの付せん紙など。地図の縮尺は、その時の対象地域次第で、町内単位だと一戸一戸が分かる住宅地図となる。まず。自治体の被害想定などを元に、参加者がその地域がどういう状況になっているのかを書き込み、付せん紙を張り付ける。通れる道、通れない道などを色分けして線を引いたり、参加者のレベルによっては時間の経過を想定して状況を変化させたりもできる。
 この手法は、住民やボランティアを含んだ地域防災のあり方を探っていた三重県消防防災課(当時)の平野昌さんと、防衛研究所で災害救援を研究していた小村隆史さんの二人が中心となり、自衛隊の指揮所演習で使う地図と透明シートの方式を活用して編み出した。彼らのネーミングは「災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game)」。無理なく、気楽にでき、災害が想像できる訓練をゲームという言葉で表現。同県鈴鹿市や伊勢市、尾鷲市、松阪市、上野市などで次々に行い、手法を確立していった。
 これらの成果を地域安全学会で報告し、研究者や各地の自治体関係者などから注目された。被災地の神戸市でも昨年六月、同市の防災福祉コミュニティーモデル地区の同市灘区高羽地区で、三重県の手法を改良した図上訓練を行った。事前に区役所や消防署の支援で住民が作った防災マップを利用し、水害と地震の二チームに分かれて実施。「ブロックのへいが倒れて負傷者が出た」などと、住民が情報を持ち寄っての訓練は、見学に訪れていた平野さんや東京二十三区の防災担当職員らも「さすが被災経験があると違う」と感心するハイレベル。その後、新宿区で住民対象に、品川区では職員研修で災害図上訓練がスタートするなど、全国各地に広がっている。
 三重県内で、この訓練を広める主役となっている官民の連携組織「災害救援ネットワークみえ」(NAD−Mie)のメンバーで、上野市でのDIGの中心になった中村伊英さんは「従来の防災対策は『助ける側』の見方に偏っていた。市役所も機能しない前提で、被災した住民自らが行動を考える、そういう視点から地域防災を見直すきっかけにしたい」と図上訓練の意義を話す。

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【官民の連携で続々アイデア】

 NAD−Mieでは、DIG以外にも次々に新たな活動を展開。昨年も、福井地震五十周年の行事に参加したり、子供百二十人と大人六十人が参加する一泊二日の野外訓練を開いたり、県の総合防災訓練では児童を対象にした啓発イベントを任されたりした。
 昨年秋には、県下全域で開催された「歴史街道フェスタ」の担当に平野さんが異動したことを機に、閉幕イベントでボランティアのコーディネートを担当した。事前に仕事を割り振らずにボランティア参加者を募り、付せん紙を求人票として利用して、出展者からのニーズと参加者をコーディネートする「ハローボランティア・システム」を考案。今後、県内で行われる各種のイベントを利用して、災害時を想定したコーディネーターの実働訓練を行うメドもつけた。
 今では県の地域防災計画にまで明確に位置づけられ、その存在を全国の自治体からうらやましがられているNAD−Mieだが、スタートは阪神大震災や日本海の重油災害でのボランティアに取り組んだ県内各地の住民グループが横のつながりを持ったことだった。福祉関係のボランティアグループや、主婦や定年退職後の元会社員、宗教団体の災害救援チーム、バイクやアマチュア無線のグループなどさまざまな顔ぶれに、県職員や研究者も裏方として協力し、一緒になって育ってきた。平野さんは、県消防防災課の担当を離れた今でもその一員だ。
 NAD−Mie初代代表幹事で地元CATV社長の阿部好一さんは「これまでのパターンを打ち破るのは大変だが、イマジネーション豊かに活動に取り組み、成功体験の共有で人材も育ってきた。今年は町内単位でのDIGを広めていきたい」と語る。平野さんは「住民も県職員も、災害時に被害を最小限にとどめるという同じ目的をもって活動ができる。活動を重ねて信頼しあえたことが大きい」と分析。「防災は公共性が高く、また市民にも身近なテーマ。持ちつ持たれつ、自然体でやれることが大切」と話している。


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