阪神大震災から5年

「地方行政」2000年1月17日号(時事通信社刊)

時事通信社神戸総局 中川和之

「まちづくり」
次世代の都市計画、先端事例が被災地に
まちづくり協議会が支えた神戸の復興

 神戸市東灘区の国道43号線沿いにある呉田会館。毎月定例の「住吉浜手まちづくりの会」の役員会には、住民や区職員、コンサルタントら約20人が集まる。「道路脇の緑地は市の手入れが少ないので、みんなで草刈りを」、「仮設住宅が解消されたので、年末についたもちを地域に配ろう」などと議論が展開する。神戸市のまちづくり条例に基づく98のまちづくり協議会のなかでは、活動歴は浅いが、昨年夏には仮設住宅が撤去される公園をどう再整備するか市への提案書をまとめるなど、住民主体での地域復興を検討している。

全国初のまちづくり条例

 高度成長期の山を削って海を埋める都市経営が注目された神戸市だが、住民参加を目指して1979年に全国初のまちづくり条例を制定、震災前から12協議会が活動していた。「神戸がここまで復興できたのは、市民にも市にも先進的な取り組みがあり、まちづくり協議会があったから。全国どこでもできるとは思わない」。建設省の山本繁太郎審議官(都市計画担当)は断言する。
 実際、条例制定以前の60年代に、公害反対の住民運動からまちづくりに展開していた長田区真野地区では、密集地の整備が進んでいたほか、同地区の中心にある「三星ベルト」の自主消防隊と住民が一体となって防火に取り組み、修理不能な建物は22.3%と火事が相次いだ長田区内の平均を大きく下回った。
 重点復興地区に指定された同地区は、復興過程でも協議会が積極的に中心となって活動。まちづくり用地として確保していた土地が復興公営住宅用地となり、木賃アパートなどが焼失した土地などに共同建て替えの建物が次々にできた。同協議会が管理・運営する地域福祉センターも一昨年末には開所、被災地の見本とされた。
 他の地区でも、被災後3カ月で共同建て替えの委託業者を決め早期に住宅を再建したり、空き地へのラブホテル進出を防ぐなど成果を上げ、新たな街並みに共同建て替え住宅などが並ぶ。

「震災前は理念的なレベル」

 高度成長期は、大都市への人口流入や活発な産業活動による用地ニーズに応えるため、神戸市は六甲山を削って海を埋め立てる都市経営を続けていた。神戸市震災復興本部復興推進部の本荘雄一主幹(計画調査担当)は「生活関連の基礎的な社会基盤や、社会的インフラ整備は行政の役割で、当時は都市経営、行政デベロッパー方式で取り組んだ」と話す。
 その中で、高度成長の歪みである公害問題が60年代から住民運動として始まり、各区に市民相談室が設置され、70年代に入ってコミュニティーカルテ作りを進めて地域の課題を発掘。その成果を受けて全国初のまちづくり条例ができた。
 「70年代で、下水道は市街地100%整備が見通せたなどシビルミニマムとしての生活基盤はめどが立った。次の課題は地域の選択的なニーズにどうきめ細かく対応するかの時代に移り、まちづくりのウエートが高まって『協働のまちづくり』の概念も打ち出した」と本荘主幹。
 「震災前は理念的なレベルにとどまっていたが、被災直後に誰に助けてもらったかというと地域の人というのが多い。実感として地域活動の重要性が震災で認識されたのだと思う」と話す。

まちづくり協議会12から98へ

 ただ「住吉浜手」を含め、震災後に相次いで発足したまちづくり協議会は、震災2カ月後の段階での都市計画決定を巡って行政と過剰に対立したり、既存の自治会と協議会の関係がぎくしゃくしたところも少なくない。
 震災後の復興のまちづくりは、被災がひどかったとして土地区画整理や市街地再開発事業などの対象になった法定事業地域(神戸市の被災地域の4%)が17区域で、「黒地地域」と呼ばれた。住宅市街地総合整備事業、密集住宅市街地整備促進事業などの要綱事業の「灰色地域」(同17%)、それ以外の地域は復興促進地域という名称はついたものの特に線引きはされず「白地地域」(同79%)となっている。
 黒地地域では、最初の都計決定に「住民の意向を無視している」などの反発があって、自治体側は地権者の協議で最初の決定の見直しもありうるという2段階方式を採用。この際に、反発をエネルギーに変えてまちづくり協議会が結成された地域もあった。
 一方、白地地域は都計決定はなく、行政とのトラブルはなかったものの、地域でのまちづくりを進める強力な引き金がなく、線引きの妥当性を巡っての議論も白地地域から起きたほど。協議会発足など、議論の立ち上がりに時間がかかったり、休眠状態のところもある。
 白地地区の一つである住吉浜手地区を担当するまちづくりコンサルタントの野崎隆一さんは「戦後初めて自分の権利を他人と調整しなければならなかったのが震災復興。既存の自治会とのすりあわせに苦労している。行政側からすると地元に2団体と見えてしまう。融合を目指して徐々に前に動きつつあるが、時間がかかる」と話す。

条例や協議会にようやく法的根拠

 阪神・淡路まちづくり支援機構代表の広原盛明前京都府立大学長(都市計画)は「これまでの都市計画は、都市の中身は自然に発展することが大前提で、足りないハードを土木、建築で供給してきたが、大規模再開発によって地域の生活ネットワークを寸断し、地域が元気を失って死なせてしまったこともある。21世紀は成長も拡大もせず、定常的に推移すればいいし、場合によっては衰退する局面もある。それを元気にする新しい都市計画、まちづくりが必要になる」と、発想の転換の必要性を指摘する。
 神戸市や横浜市、青森市、盛岡市などで打ち出されている「コンパクトシティ」の概念は、自動車に過度に依存しないという環境対策の側面もあるが、生活圏を重視したまちづくりへの転換を促すものだ。
 広原さんは「なにが都市を維持し、元気にするのか。地域社会や、コミュニティーを活性化させる機能がこれからの都市計画だ。大半は、現在の状況やコミュニティーを維持しながら、足りない物をちまちまと改善する積み重ねとなる。専門的な技術屋や官僚が上からプロジェクトを書く必要性は低くなり、地域の人たちが、自分たちでネットワークして、住民主体でやっていくことになる」という。
 建設省は、検討中の都市計画法改正で、自治体のまちづくり条例に法的根拠を盛り込むとともに、協議会への専門家派遣助成も行う計画だ。山本審議官は「市民社会全体で、それぞれがどれだけがまんするかで、出来上がるまちの良さが変わる。犠牲を提供して、次の世代が誇るべき市街地に住めるようにしようという気持ちが一番増えるのが震災の直後。その経験をもとに、全国にある高度成長期の劣悪な市街地改善に生かしたい」(山本審議官)という。
 住吉浜手まちづくりの会の沼田智久会長は「真野地区でも20年以上かかってきた。ぼちぼちでも少しずつやっていくしかない」と語る。2月には、先輩の真野地区への見学を計画、住民による地区計画のまちづくり協定作りを本格的に進める。(了)


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