身近な風景を読み解く力を育み、防災意識の定着を
−時事通信社 中川和之((社)日本地震学会広報委員)
月刊フェスク(日本消防設備安全センター) 2002年12月号

・はじめに

 神戸や阪神間に街の落ち着きと緑をもたらしている六甲山。そのふもとに育った私は、新幹線が新大阪駅に近づいて車窓から六甲の山々が見えると、「ああ、帰ってきた」とほっとする気持ちになる。その山ができたのは、阪神大震災を引き起こしたのと同様の地震の繰り返しのせいだったことに、私は科学記者として地震について取材する機会が少なくなかったにも関わらず、8年近く前のあの日まで気付いていなかった。その地に住む人たちの多くも、六甲山はときに水害をもたらすものの、地震までは考えが及んでいなかった。
 そういえば、山陽新幹線の開業にあたって、「新神戸駅は断層をまたいでいるので、駅のホームがずれても大丈夫な構造になっている」とか、六甲山トンネルの工事が「破砕帯があるので水が出て大変だった」とか、思い起こせば地震を示していることはあった。六甲山に沿って断層が走っていることや、近畿トライアングルと言われるほど地震活動が活発な場所であることは、専門書を読めば常識のように書いてある。それが、そこに住む人たちの意識に伝わっていなかった。

・研究者だけの常識にしないために

 もちろん、六甲山が地震で高くなった山だと言うことが住民の常識になっていたとしても、それだけで被災程度が軽減されるわけではない。昔から、災害から命と暮らしを守ることは為政者にとって重要な事項であり、行政や研究者も含めて防災は専門家の仕事とされてきた。「阪神間には大きな地震はない」という誤った常識が定着していた地を襲った阪神大震災は、その専門家たちが「日本では起こり得ない」と公言していた高速道路の落橋のような事態も起こし、救援や復旧の過程で行政の限界がはっきりとした。
 「分かっていたのなら、なぜ伝えてくれなかったのか」。この声は、地震研究の専門家たちに重く受け止められた。地震の研究者たちが集まる日本地震学会も、専門的な研究だけを行っているだけではいけないと、地震についての知識普及のために、学習ビデオの制作や広報誌の発行、講演会の開催などに取り組み始めた。社団法人となって体制を整え、学校教育委員会や広報委員会などの内部組織も作った。地震についての知識を、研究者や専門家に伝えるだけでなく、ひろく社会に伝えていくために、研究者自身も関与することの大切さに気付いたのだ。
 その一環として、地震学会が日本火山学会と共同で3年前から行っているのが、「地震・火山こどもサマースクール」だ。そこでは、専門家らが子どもたちの視線にまでおりてやりとりを重ね、目の前に広がる風景の中から過去の地震や火山の証拠を読みとれる感性を養うきっかけをつかんでもらうと共に、地震や火山噴火を起こす自然の活動を単に恐れるだけではなく、それらが人間社会にもたらしている恵みの面もあることを伝えることがポイントになっている。また、子どもたちが好奇心を素直に発揮できるよう、ポイントカードを渡したり、チーム対抗のゲーム形式を採用している。
 前講釈はこのぐらいにして、どのようなことを行ってきたかを紹介しよう。

・「丹那断層のひみつ」

 1999年8月20日と21日に、静岡県函南町にある丹那断層を舞台に行ったのが、第1回目のサマースクール「丹那断層のひみつ」だ。この断層は、伊豆北部で272人の死者を出した1930年の北伊豆地震(M7.3)で動いており、地表に現れた一部が国の天然記念物に指定され、丹那断層公園として整備されている。
 両学会が主催し、静岡県と県教委、函南町と町教委の後援を得て、主として地元と近県の小学校5年から高校3年までの22人が参加。初日は、3人の研究者が講師をつとめ、中高の教師ら4人が実験や進行にあたり、さらに地元教委の職員や高校教師のサポートを受けた。参加した子どもたちからは、昼食代や保険料、実験材料費などとして2500円の参加費を徴収した。

 行程の概略は以下の通り。
8:30 函南町中央公民館で参加受付
9:00 開講式、オリエンテーション、チーム分け
9:30 伊豆スカイランの駐車場に移動し、火山地形・活断層地形の観察
11:15 丹那断層公園に移動し、断層のずれの観察
12:15 酪農王国オラッチェのレストランで昼食
13:30 農村環境改善センターで、食材を使った断層模型実験、ペットボトルの液状化実験
15:00 地震・火山・活断層の基礎知識についての講義
16:30 閉講式の後、函南町中央公民館に移動・解散

 子どもたちは、年齢バランスを取った5つのチームに分かれて町提供のバスに乗り込み、まず最初に丹那断層を見下ろす伊豆スカイラインの玄岳駐車場から地形を観察して、断層を探し出した。溶岩が流れた斜面の様子など地形の見分け方の解説を聞き、手元の写真に断層の線を引いてみた後、講評を受けた。(写真1)

 講師側から子どもたちにどんどん質問を投げかけ、正解やユニークな回答、専門家でも答えるのが難しいような質問などに、なまずカード(写真2)を渡すなど、子どもたちとやりとりをしているうちに、講師側も学生相手の巡検と違う間合いをつかむことができたようだ。カード集めは、チーム対抗で数を競う方式とし、小学生から高校生までの参加者の一体感を演出でき、デザインを増やして(写真3)継続している。

 地表のずれが保存されている断層公園では、先回りして解説の看板などを紙で隠したうえで、断層のずれが現れている場所とそのずれの大きさを探す観察ゲームと、断層面を掘り下げたトレンチで解説を聞いたり(写真4)、北伊豆地震や兵庫県南部地震で断層から離れたところでも被害が大きかったことのお話を聞いた。
 昼食の後、施設内で小麦粉とココアを使った断層模型実験(写真5)と、ペットボトルを使っての液状化実験を行った。いずれの実験も、参加者が一人ずつ自分の手元でできるオリジナルなもの。断層模型実験では、小麦粉などで作った”地層”に圧力を加えていくと、ある瞬間にすっと切れて逆断層が形成され、子どもたちからは「うおー、ほんとだ」「できてる、できてる」と歓声が上がった。講師陣も、子どもたちに混じって真剣な表情で実験に取り組んだ。液状化実験も、砂と水を混ぜたペットボトルに振動を加えると水がじわっとしみ出す不思議さにおどろいていた。

 最後に、液状化と活断層、火山についてのまとめの講義をした。かなり密度の濃い内容のため、講義中に1日の疲れで寝る子も出るのではと心配していたが、子どもたちからの質問が途切れることなかったのは驚きだった。最後に、出来上がった断層模型を持っている一人一人の写真を取り込んだ「なまず博士認定証」を渡して初日は終了した。
 2日目は、函南町中央公民館で「地震・火山の理解と防災教育に関するシンポジウム」を開催。活断層や地震、火山の3分野で、内容は高度だが小学生にも理解できる平易な解説を心がけた講演の後、前日のプログラム報告や参加した小中高生1人ずつも加わったパネルディスカッションなどを行った。その中で、地元の小学校5年生が「遠足で何度も行っていたが、初めて断層というものが分かった」と発言し、今回のプログラムの意義が裏付けられた。
 また、シンポに母親と来ていた地元の小学校4年生の女の子に、前日のプログラムは年齢制限(小5以上)で参加できなかったことを残念がったため、資料を一式渡したところ、母親と一緒にほぼ同様のプログラムを自力で実施。「私にもなまずカードを下さい」という手紙がスタッフに届くという番外編まであった。

・「有珠山ウオッチング」

 第2回は、2000年8月26日と27日の2日間、北海道の有珠山のふもとの壮瞥町、虻田町、洞爺村などを舞台に実施した「有珠山ウオッチング」だった。第1回の後、両学会で継続開催を図ることとし、初回が地震がメインだったため、火山をテーマに有珠山で実施すべく、同年3月27日午後、北大有珠火山観測所で第1回の実行委員会を開催した。
 その場では、1泊2日の日程で有珠山の外輪山や昭和新山に登ったり、過去の噴火での被害観察や、夜の交流プログラムなどを盛り込んだプログラム案を決めたが、その夜から有珠山噴火の前兆現象が出始め、翌未明には臨時火山情報が出され、31日に噴火するに至った。実行委員となっていた北大教授の2人は、連日、観測や予知連の会議、マスコミレクなどと忙しく、一時は開催地の変更や中止も考えざるを得なかった。
 それでも、被災地のこどもたちを主な対象とし、火山について研究者から直接話を聞く勉強会を開くことができないかと検討。両教授も、観測時間などの合間を縫っての野外講習なら可能として、日程を大幅に変更。趣旨に賛同してくれた北海道社会福祉協議会のおかげで、土屋生涯福祉基金からの助成を受けることができ、参加費を無料とすることができ、大学研究者4、学校教育関係者6、社会教育関係者2の実行委員・スタッフで実施した。当日は、札幌で開催された地震学会学校教育委員会の夏のミーティングに参加していた各地の学校教員や、地元の教員らが、子どもたちのチームごとに「大きなこども」としてサポートに加わった。
 26日は壮瞥町や伊達市を中心に40人、27日には虻田町や洞爺村などから19人の小学5年から高3までの子どもたちが参加。初日は壮瞥町公民館、2日目は虻田小学校を会場としたが、2日間ともほぼスケジュールは同じ内容で実施した。
9:00 受付開始
9:30 開講式 オリエンテーション、チーム分け
9:45 かいせつと実験1「火山ってどうやってできるの?」
10:45 かいせつと実験2「噴火にもいろんな種類があるんだ!」
11:45 バスに乗車、お話1「昭和新山と三松正夫」
12:15 サイロ展望台で昼食
12:25 サイロ展望台  野外見学1 有珠山と洞爺湖のできかた1
13:00 バスに乗車、お話2 有珠山と洞爺湖のできかた2
13:15 珍小島到着 野外見学2 有珠山2000年噴火
14:15 記念写真撮影
14:30 バスに乗車、お話3 火山の恵みと災害
15:10 会場到着 班毎の課題発表
15:45 閉講式 まぐま観察博士認定証授与
16:00 アンケート配布・記入・解散

 メイン講師の2人の時間制約上、野外見学を午後の時間にしたため、午前中は実験と解説のプログラムとした。また、移動中のバス車中で車窓を見ながらの講義の内容も、概略を決めておいた。
 子どもたちは、北海道の火山名を冠したチームに分かれ、各チームに「大きなこども」がサポートと安全管理役を果たした。ちなみに、丹那では富士・箱根周辺の火山名をチーム名に冠した。初回同様、チームごとに旗を用意し、子どもたちの中にリーダー、サブリーダーを指定、チームとしてまとまれるように促している。ここでは、地中の火山にちなんで「もぐらカード」を採用し、チームごとに獲得数を競った。

 「火山ってどうやってできるの?」では、火山の写真をOHPで見ながら、「マグマはなぜ浮くか」などの問いを子供たちに発しながら、地下で岩石の一部が溶けたマグマがまわりの岩石よりも軽いので浮き上がってくることや、サラサラしたマグマとネバネバしたマグマの違いで火山の形が違うことなどを説明。その上で、ビニール袋の小麦粉に少量の水を加えたものをマグマに見立てて、袋をムニュムニュと握って土の下から押し上げたときの変化を、水の量を変えることによって、”地表”にドーム状に”山”が出きたり、周囲に流れ出たりする様子を観察した。(写真6)
 「噴火にもいろんな種類があるんだ!」は、溶岩に続いて火山からでてくる噴出物の話を行い、地層の火山灰や軽石などの火山噴出物から火山様式が分かることなどの解説と、今年の有珠山噴火の火山灰と10万年前の火砕流堆積物のプレパラートを作って顕微鏡で見比べる実験を行った。(写真7)

 洞爺湖と有珠山を一望できるサイロ展望台の食堂での昼食後、建設省の監視カメラが設置されていた屋上に上がらせてもらい、チームごとに目の前の景色(写真8)の中にある溶岩ドームの数を推定する課題に取り組んだ。数個や多くても十数個との答えに対し、「専門家でもあんまりよく分からないが、30から35ぐらいあるのでは」と回答を伝えた上で、ドームの場所を一つ一つ解説。約10万年前の大きな噴火で火砕流が日本海まで到達したことや、約7000年前に山体が崩壊した後は1663年までは活動していなかったなど、目の前の風景を解説した。(写真9)

 さらに、西山火口が間近に見える珍小島に移動し、今回の噴火で新しい火口が次々に60ぐらいできたことや、山頂付近もマグマの上昇で隆起して割れ目が出来ていて危なかったことなどを解説。子供たちからの質問も相次いだ。火口からの噴煙をバックに、参加した子供たち一人一人の写真をデジカメで撮影した。
 会場に戻ってからのパネルディスカッションは、「いまから30年後,あなたがもう大人になって幸せにくらしていた時,突然うす山がふん火しました」との前提で、5つの課題に基づいてOHPシートにまとめを書いてチームごとに発表を行った。課題は「噴煙や噴出物、山の形から噴火の性質を見わけるポイント」、「次の噴火のために何を備えるか」、「有珠山が地元に与える恵みは何か」とし、子どもたちからは「きれいな景色(観光地)。これと『災害』はいつも隣り合わせである」などという発表がなされた。最後に「まぐま観察博士認定証」を全員に授与した。認定証には願いを込めて以下のように記した。(写真10)

 「火山がなぜ噴火するのか、有珠山がどんな火山なのか、美しい洞爺湖付近の景色がどのようにして作られたのか、そのふしぎとすごさと恵みなどについて、みんなで楽しく学んだことをここに証します。これからも、まぐま観察博士の称号に恥じぬよう、自然の怖さと暖かさの両方をよく考え,災害に強い地域社会や文化を作っていく努力を重ねられんことを期待いたします。」

・アンケートでは高評価

 1年目は、準備が足らず、事後的に参加者にアンケートを取ったが、有珠山では、終了前にアンケートに記入してもらった。野外での観察、室内での実験、講義など、双方ともほぼ同様の内容だったため、プログラムの評価と、内容の難しさについての評価を、グラフにした。(グラフはプログラムのみ)


 解説などは、ときにかなり高度な内容まで踏み込んで話をしていたが、分かりやすかったとの答えが多く、やはり野外観察や実験を通じて、理解が進んだのだろうと考えている。プログラム面では、実験が人気を集めていた。また、小学生ぐらいにしか評価されないのではないかと思っていたカード集めという手法もけっこう好評で、丹那のシンポジウムでパネラーとなってくれた高校生が、「いい質問になまずカードをあげたのは子供たちの質問意欲をかき立てたと思う。正直、こんなのもらってうれしいかなと思ったけど、やっていくうちにむきになって一番集めた」と言っていたことが、裏付けられた。

・「2001地震火山・世界こどもサミット」

 3回目は、地震学会の法人化記念事業として、2001年7月20日〜22日の2泊3日、1986年噴火から15年目を迎える伊豆大島をフィールドに「2001地震火山・世界こどもサミット」として開催した。東京および熱海を集合・解散場所として参加費用は無料。有珠山、三宅島から避難中の参加者については、東京や熱海までの交通費も負担した。海外は台湾から4人とトルコ人2人(一人は在日)を招待。国内は、東京、神奈川、静岡の地元以外は、最近の地震・火山噴火の被災地の北海道、広島、長崎、鳥取、神戸のメディアにリリースし、北海道から広島までの小学校5 年生から高校3 年生までの児童・生徒、計163人が参加した。

 全国の大学や研究機関、文科省職員、インターネット関連組織など60人に上る講師、サポートスタッフが企画・運営にあたる大規模なものとなった。アジア防災センターで研修中のカンボジア国家災害管理委員会やパプアニューギニア国家災害管理局の方も子どもたちに混じってプログラムに参加した。

 この事業は、(財)車両競技公益資金記念財団の助成金を受けたほか、国際ロータリー全日本ロータリークラブの寄付などを受けて実施した。
 子どもたちは20チームに分かれてバス4台に分乗して行った。プログラムは、過去2年間の経験を踏まえてバス1台のグループ単位を基本として行い、実験などは順番をずらして実施したため、グループによって実施プログラムが若干異なることになったが、主なスケジュールは次の通り。

【20日】
8:00、8:30 竹芝桟橋、熱海港集合、受付、乗船
11:00 大島町開発総合センター受付、オリエンテーション
12:00 昼食
12:30 課題説明(合同)
13:00 バスで出発 大切断面、波浮港、筆島観察
16:00 セミナーハウス入所式
16:45 夕べのお話
18:00 夕食
18:45 今日のまとめのお話
19:10 夕べのお話
19:10 入浴
20:30 チーム会議など
21:30 消灯

【21日】
6:30 起床
7:30 朝食
9:00 出発 各グループごとに溶岩流先端で現地レクチャーや、大島公園でのGPSを使ったゲーム、各種実験など。途中で弁当の昼食
14:00 火山博物館見学
16:30 「こどもサミット」パネルディスカッション
18:00 夕食
19:00 キャンプファイヤー
20:30 チーム会議など
21:30 消灯

【22日】
6:30 起床、荷物まとめ
7:30 朝食
8:30 退所式、出発
9:30 B火口展望台、温泉ホテル裏路頭、御神火茶屋からカルデラ内観察
12:15 昼食
13:00 1986年C火口見学
14:00 大島町開発総合センター、サミット宣言、サミット終了式
15:30 センター出発、港へ、熱海港、竹芝桟橋で保護者引き渡し、解散
16:00 島内参加者、解散

 7 月20 日は東京竹芝桟橋および熱海港に集合、船で伊豆大島へ移動し、到着後は大島町総合開発センターで開会式とオリエンテーションを行った。そこでは、2日目のパネルに向けて解くべき謎として「伊豆大島のひみつ」として、「大島のうえにある『へっこみ』は、どのようにしてできたのか」、「急ながけの海岸と,平らな海岸があるのはどうしてか」、「ぼこぼこしている小さな山は、どのようにしてできたのか」の共通課題が与えられ、これから見学する地層大切断面、波浮港、筆島が、それぞれどうしてできたのか考えるためのヒントを与えた。
 宿泊場所の東京都セミナーハウスに向かう途中にある地層大切断面(写真11)では噴火の繰り返しによって出来たしま模様を、波浮港(写真12)では過去の噴火口とその地形を活かして人間が港にしたことを、筆島(写真13)では過去のマグマ貫入の様子を観察した。
 宿舎では、開所式や夕食の後、さらに観察した場所のまとめと2日の課題説明(火山や地震について何をどのように調べたらいいか、火山や地震が地元に与える恵みは何か)、「夕べのお話 地震・活断層の話」という2コマの講義を行った。その後、各チームごとに集まってチーム会議を開き、パネル委員や、美化係、保健係を選出し、自主管理ができるようにした。宿舎は、チーム単位の男女別とし、「大きなこども」役のサポータ−の大人が、子どもたちと同室で寝起きする形態とした。夜は、パネル委員会、チームリーダー会議、グループリーダー会議という形で、全員への連絡事項の徹底などを行った。

 21 日午前中は4つのグループに別れて、野外観察や実験、講義のメニューをこなした。観察や実験場所は複数のグループが重ならないようにし、バス4台が実施する内容をずらしながらのスタイルとした。実験と講義は、都立大島高校内で実施した。野外観察のメニューは、差木地(平安時代に神津島の噴火で出た火山灰を地層で探す)、元町&LC溶岩(溶岩流が冷え固まってできた岬)で、火山噴火の様子を観察。実験は、昨年有珠で行った小麦粉に水を入れて絞り出す「ムニュムニュ噴火実験」と、ペットボトル内のゼラチンにごま油を注入して地中のマグマ貫入を再現する「ゼラチン貫入実験」(写真14)、小型GPS受信機を使っての地点探し実験(写真15)をした。

 講義は、「火山の形と割れ目噴火」や、「大島の観測成果と割れ目噴火の様子」、「大島のおいたちと火山の形」など、実験や観察の内容にあわせた内容を各グループごとに工夫した。各グループには、これらのメニューの中から、午前2コマ、午後1コマが割り当てられた。
 昼食は、グループごとに大島高校や大島町開発総合センターで弁当を食べて、午後は火山博物館に集合。チームごとに見学した後、グループごとに課題発表の準備をし、博物館のホールで映画を見た後(子どもたちの実行委員はこの間打ち合わせ)に、パネルディスカッションを行った。

 パネルでは、これまで学んできたことのおさらいした後、各グループからの課題発表(写真16)と講師からのコメント(写真17)、インターネットを使ったアメリカ合衆国の学校と交流を行い、これらの様子をリアルタイムでインターネットに映像配信した。

 2日目の夜は、夕食後にキャンプファイヤーを行うなど交流の時間とし、火を囲んだ子どもたちに講師が自分の体験談などを語りかける場をもうけた。就寝前には、チーム会議などで翌日のサミット宣言に向けた意見交換を行った。

 22 日は、朝食後、室内の清掃、退所式などの後、バスで三原山まで移動した。当初は、御神火茶屋から三原山山頂まで(写真18)歩くこともプログラムに入れていたが、日中にかなり気温が上がると予想され、3日目で疲れている子どもたちがカルデラ内を歩いて熱射病などになる恐れもあるとして予定を変更。1986年噴火で溶岩が流れた様子がよく望めるB火口展望台(写真19)や、温泉ホテル裏の路頭、御神火茶屋からカルデラの入口付近など、グループごとに分かれて観察を行った。

 北海道など、遠距離から参加の子どもたちは昼食の弁当を受け取って早い船で離島したが、大半の子どもたちは茶屋付近の店で昼食を食べた後、元町港に向かって溶岩を流した割れ目噴火の跡を歩いて観察(写真20)した。

 港近くの大島町総合開発センターに集まり、おさらいの講義を受けている間に、グループリーダーの子どもたちが、各チームから集まったキャッチフレーズの文章の中から今回の企画で得たこと学んだことにふさわしい言葉として以下のような「サミット宣言」をまとめ、発表した(写真21)。閉会式では参加者全員に「地震・火山観察博士」の認定証を授与した。

 2001 地震火山・世界こどもサミット宣言
1 歩いていこう 地球と共に、知識ひとつで変わる世界
2 噴火のあと 大島で知った自然の恵み
3 災害を越えて 人の輪を広げよう

 期間中、初日の船酔いと緊張から気分が回復しない中学生1人が2日目に帰った以外は、けがや病気になった子どももおらず、閉会式の後は、島の子が同センターで、それ以外は熱海港と竹芝桟橋で保護者に子どもたちを引き渡して日程を終えた。

・「めだかの学校」への協力

 今年度は、自主事業としては実施しなかったが、三重県の上野市社会福祉協議会や同市教委、三重県防災ボランティアコーディネーター養成協議会などが行っている小中高生向けの学生ボランティアアドバイザー養成講座「めだかの学校」に、2日間のプログラムを提供した。当初から地域が実施主体となり、そこに協力する方式が望ましいと考えていたこともあり、防災ボランティアでは先進県と言える三重県で第1号として実現した。上野市は、1854年伊賀上野地震(M7.25、死者・行方不明者1500人)でずれた木津川断層が市域の北側を走っているところで、1999年には歴史地震研究会も開催されている。

 この「めだかの学校」は、三重県の災害ボランティアコーディネーターの養成を行っている関係者が、平時の活動の一環として取り組んだもので、年度を通した講座となっている。ボランティア活動についての基礎知識や、夏の合宿、防災マップ作りなどを行ったほか、03年1月には神戸の人と未来防災センターや復興住宅見学なども予定されている。参加者は小学校5年生から高校生までの20人と、これまでのサマースクールと同じ年齢層で、年間を通じてのチーム分けとカード方式も導入している。

 地震学会がサポートしたプログラムの主なスケジュールは次の通り。
11月5日(土) 場所:上野商業高校
プログラム:室内実験及び地震観測体験
9:00 室内実験(1)小麦粉とココア・パウダーを用いて断層を作る。
11:00 室内実験(2)水槽で液状化を再現する。
12:00 昼食・休憩
13:00 地震観測体験 本物の地震計をつかって,地面のゆれや地震の波の伝わり方を調べる。
14:30 講義 地震観測のまとめ。
11月16日(土)=予定
プログラム:断層の観察とまとめのお話
9:30 断層の現場をみてみよう(野外観察)
 上野城、東高倉トレンチ跡、法華経塔、友生小学校GEONET
12:30 昼食・休憩(ふれあいプラザ)
13:30 まとめのお話(1)と実習 近畿地方の3D地形図から活断層を探す
14:30 まとめのお話(2)現在の地震・地殻変動研究の最先端と実験や巡検で得た知識の意義を知る

 初日の午前中は、県立上野商業高校の福祉科棟で行い、丹那断層の際にも行った断層模型実験と液状化実験だった。断層実験は、小学生もうまく再現できており、実験としての完成度の高さを示した。液状化実験は、用意した水槽が大きすぎ、講師側が実験してみせるだけにとどまってしまった。ただ、学校教員が授業で用いている工夫したツールを使っての説明に、子どもたちも興味深そうに聞き入っていた。また、断層実験には同養成協議会のメンバーも参加し、これまでにノウハウを持っている防災マップ作りや災害図上訓練などとともに、地域での平時の活動ツールとしてプログラムに活用していくという。

 参加の子どもたちは持参の弁当という昼食の後、本物の地震計を使った初めての実験を実施した。用意したのは、上下と水平の方向をそれぞれ別々に計測する旧式の地震計3台(1セット)と、1台で3方向のデータが取れる3成分型の地震計3台、アンプとペンレコーダー。午前中に、同高校のグラウンドの一角を使って地震計を等間隔にセットしておき、波形データが取れるように設定をしておいた。

 まず、旧式の地震計のカバーを外して内部を見てもらい、電磁石が入っていることや、地震の揺れを感じる可動部を確認した。(写真22)

 さらに、グラウンドの上でジャンプして着地した震動で揺れを起こす”震源”チームと、記録がでてくるペンレコーダーで観察するチーム(写真23)とに分かれて、震源チームは一人一人のジャンプ(着地)のデータを採った後に、チーム全員でジャンプ(着地)して揺れの大きさを競った。最後には、参加者全員でジャンプして記録を採った。(写真24)
 室内で、まとめのお話と共に、採った記録を元に4台並べた地震計に波が伝わってきた時間の差を計算して、地震波が地中を伝わる速度の計算をチームごとに行った。かなり難しい計算で、専門家のサポートも受けながら行ったが、小学生たちも興味深そうに計算を見守った。結果として、3つのチームとも、地表近くの速度としてはほぼ妥当な数字が算出された。最後に、一人一人ジャンプして”震源”となった地震波のデータをおみやげとして持って帰ってもらった。

 2日目は、上野城から盆地とそれをとりまく山という大きな風景を観察した後、安政伊賀上野地震に関連した史跡や、長年の断層活動によって地表が変動した地形、木津川断層のトレンチ跡などを観察してまわり、午後はまとめのお話とする予定である。(フェスク締めきり後の実施でしたが、HPには写真を載せました。左が上野城から見た木津川断層、右はトレンチ跡に立って足元を想像してみる)

・災害の本質をイメージできる感性を養うために

 この一連の行事は、(1)どんな質問にも答えられる研究の最前線にいる専門家が、子どもの視点にまで下りて、地震・火山現象のしくみや本質を直接語る、(2)地震や火山現象が、災害と不可分の関係にある自然の恵みを人間社会にもたらしていることを伝える−−という点が基本的な理念である。災害をその一時にもたらされる災いだけに着目すると、単純に「怖い」としかとらえず、自然に対して理解をしようとしない思考停止すら招いてしまう恐れがある。「地震は怖い、火山は恐ろしい」で防災意識を押しつけても、人は嫌なことに向かい続けていけるとは考えられない。(桑原央治:科学1997、小山真人:科学1999など)
 地震や火山活動の恵みというと、火山と温泉などが分かりやすい事例だが、災害列島の日本にみられる変化に富んだ風景は、自然災害の積み重ねでできている。地震や火山の活動によって、人間の活動がしやすい地形ができたり、火山灰によって作物が育ちやすい土壌が出来る。地震の断層活動によって、豊富な地下水が地上にもたらされたりもする。観光地にある奇妙な風景の多くが、火山や地震の活動の結果なのだ。
 身近な風景に「自然災害の本質」があることを伝えるために、見慣れた平野や盆地を単に静的な風景としてではなく、地球の営みを通じて変化し続けているというダイナミックな動的な風景としてイメージできる感性を磨くことで、納得ずくで防災に取り組むことも可能になると考える。
 巨大な地震であれ、災害の現象はローカルの地域性が反映されて起きる。その意味でも、自分たちが暮らしている風景の中に、自然災害の恐ろしさと共に、平時の恵みがもたらされていると言うことを、随所で強調している。
 この視点は、ともすれば自然の負の面だけへの対決姿勢を強要する従来の防災教育に不足する自然理解や共生の概念を持てるようにするだけでなく、自然環境の保護を考えていく上でも重要な視点を提供していると評価できる。
 これらの理念を実現するために、観察や実験、講義を組み合わせ、子どもたちの好奇心を刺激するクイズやゲーム、カード方式を多用。また、率直な好奇心を発揮できる小学生から思考を深められる高校生までのチームで共同作業を採ることによって、学習指導要領などの限界を超え、子どもたち同士で刺激しあってプログラムが進むのである。

・災害に備える意識はどこからでてくるか

 たとえ、すぐに火を消す、避難するなどの訓練を繰り返していても、一撃で家屋が倒壊して下敷きになってしまっては何も出来ない。地震の後の生活再建で最も大きな課題となったのは、住宅の問題である。地震防災に重要なのは、住宅の耐震補強であることは明白だが、市民の意識はなかなかそこに向かない。コストを行政が助成したとしても、補強工事をしないという人が多いという調査結果もあるほどだ。(岡田恒男:兵庫県震災対策国際総合検証事業報告、2000)。リスクがより身近な地震マップを作ることで、住民から耐震診断の申し込みが増えた横浜市の例(中川和之:地方行政、2002)もあるが、補強工事に踏み切るには、コストだけでなく、工事に伴う日常生活の制限などハードルは低くない。
 地震や火山噴火などに備えるためには、その必要性を個人や家族、地域、社会で納得しておかないと、難しい。納得したうえで、行動に踏み切れるのである。
 私は六甲山のふもとで育ち、六甲山の急傾斜によって土砂崩れなどが繰り返され、道路や鉄道の上を川が流れる天井川があることは知ってはいたが、あの山が地震活動の繰り返しで高くなっていたという認識はなかった。あの地に住む多くの住民が、「この山は地震の山だ。だから、いつか来るだろう」という意識でいることで、納得した上での防災対策につながるのではないかと考えるのである。
 被災から立ち直って、復旧・復興して自立していく過程では、何が起きたのかを納得することが重要であり、そのためには自分たちが暮らしている地域の自然がどうやって成り立ってきたのかについての基本的な認識がポイントとなろう。さらに、災害を人間生活を脅かす外部からの異物との視点だけでとらえるのでなく、平時の共生・恵みの部分まで含めて意識することが出来れば、復興まちづくりの中で一時的にコストがかかっても長期的にはリスクを下げる防災まちづくりや耐震住宅などを選択することにもつながるはずである。
 大切なのは、住民が地震のリスクを適切に受け止めることで、どういう備えをしておけば良いのか自分自身や地域での防災のレベルについて意志決定をできる機会を得るということだ。そのためには、普段からその山を見上げるたびに、地震や水害について意識のどこかに持っていながら暮らす共生の感覚であろう。
 固定資産税や不動産取引価格に災害リスクを反映させるなど、一定のインセンティブやペナルティを課すというような方式(中川和之:都市政策論集 、1999、目黒公男:生産研究、2000、2001など)も提案されているが、その実現のためにも、その地域に住む人たちが納得ずくでリスクと向き合っていることが不可欠だ。そこには、ダイナミックに風景を理解できる世代を育てていくことが、遠回りに見えても重要だと考えている。

・「私たちが幸せにこの星で暮らすための大切な学問」

 「地球科学とは、私たちが幸せにこの星で暮らすための大切な学問だと思いました」−。これは、大島でのこどもサミットで採用されなかった宣言案文の一つである。これまで、地震や火山の専門家は、自分たちの研究を専門的に進める一方、各種の審議会活動などで行政を通じて防災に貢献し、講演会で分かりやすく話すことがせいぜいだったのではないか。専門家の手を借りながら、火山活動の現場で自然と向き合った子どもたちからこのような評価を得たことは、この一連の行事に専門家がかかわり、次世代の研究者を増やしていくことにもなるはずだ。
 まだ、来年度以降、どのような形で同様の行事を続けていくかは固まってはいないが、既に具体的な計画の検討は進んでいる。全国各地には、火山噴火の跡や、地表に現れた活断層など、自然と災害について実感を持って学ぶのにふさわしい場所は多々ある。また、一目で分かるような地形でなくても、それぞれの地域にある山や盆地、平野には、ダイナミックな意味がある。それを、子どもたちと一緒に解き明かしながら、災害列島日本にふさわしい災害文化を創っていきたいと願っている。

・これまでの行事の講師・スタッフ

 小山真人(静岡大教育)、山崎晴雄(都立大理学研究科)、山岡耕春(名大理学研究科)、武村雅之(鹿島建設)、川端信正(静岡総研防災情報研)、佐藤明子(平塚市立山城中)、相原延光(神奈川県立小田原城内高)、数越達也(兵庫県立須磨友が丘高)、桑原央治(都立大島高)、中川和之(時事通信社)、高橋正樹(日大文理)、宇井忠英(北大理学研究科)、岡田弘(北大理学研究科)、三松三朗(三松正夫記念館)、岡本義雄(大阪教育大附属高)、宮嶋衛次(道立理科教育セ)、入倉孝次郎(京大防災研)、橋本学(京大防災研)、渡辺秀文(東大地震研)、川邊禎久(産総研地球科学情報部門)、平田直(東大地震研)、伊藤和明(防災情報機構)、荒井賢一(栄東高)、南島正重(都立向丘高)、前田哲良(都立三鷹高)、中島健(滋賀県立守山高)、村上智子(地震学会事務局)、平原和朗(名大環境学研究科)、鈴木康弘(愛知県立大文学)、苅谷愛彦(千葉大自然科学研究科)、根本泰雄(大阪市立大理学研究科)

 このほか、静岡大学、日本大学、北海道大学の学部生や院生、各地の学校教員や博物館学芸員、ボーイスカウト関係者、文科省関係者など多くの方が、「大きな子ども」などとして参加されました。

地震火山こどもサマースクールのホームページ http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/kodomoss/


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