第4節 新聞・通信社と災害報道
災害情報論入門(弘文堂、2008年12月)第5章

中川和之 時事通信社編集委員

1………新聞社・通信社の特性と災害報道

(1)「珍しさ」「新鮮さ」「身近さ」で決まるニュース性
 日刊紙を発行している新聞社や、新聞社に情報を配信するニュース通信社は、(社)日本新聞協会に加盟しているだけで、109新聞社、4通信社がある。スポーツ専門の日刊紙やテレビ欄通信社を除く新聞社・通信社は、基本的に毎日、ニュースを届ける報道が仕事である。テレビ欄や学芸欄もあるが、メディア全体の容量を考えると、報道以外の番組が大半を占めるテレビ・ラジオとは、メディアとしてのありようが異なる。
 報道で伝えるのはニュースである。何がニュースであるかは、決まった定義はない。「犬が人をかんでもニュースではないが、人が犬をかんだらニュースである」とはよく言われるたとえだが、珍しいことがニュースである。雨が降っただけではニュースではない。激しく降って災害を引き起こしたり、雨量が記録を更新すればニュースになる。地震が発生しただけではニュースではない。激しい被害をもたらすからニュースになる。
 「ニュース性」とは何か、曰く言いがたいが、被害の大きさだけがニュース性を決めるわけではない。
 最も失われて取り返しがつかないのが、人命であり、それが損なわれる結果になる事象はニュースになりやすい。その人命が失われることを、不遜な例えながらあえて不等号で示してみると、病死<事故死と示すことができる。病死がニュースになるのは、亡くなった人物自体が著名であるか、亡くなっていた状態で長期間気付かれなかった孤立死のような事例である。一方で、事故死のニュース性を不等号で現すと、自殺<交通事故<火災<労災事故<犯罪被害<風水害・土砂災害<テロ的事件<地震・火山というような扱いであろう。どの事象も同じぐらい珍しくなれば、平和な世の中になる。かつて筆者のいた社会部に配属された新人記者が、火事の記事をボツにするかどうか死者数で判断するデスクを「非人道的だ」と憤って会社を辞める辞めないの騒ぎになり、他の部署に異動となったこともあるほどだ。あまりほめられた話ではないが、この不等号は、事象の例外性・珍しさの順でもあり、ニュース性の大小とも置き換えられる。
 災害事象が大きく報道されるのは、珍しいニュースであるからである。紙面が限られた中で、何を報道するかはニュース性の比較で決まる。号外級のニュースがあれば、通常なら1面トップの扱いになる記事であっても、相対的に小さくなる。当然、「大事な話だから」といってニュースになるわけではない。
 また、「珍しさ」と共に、「新鮮さ」もニュース性を決める要素になる。どんなことでも「今日」のことはニュース性がある。また、「身近さ」もニュース性のポイントになる。同じような事件や災害であっても、より近いところでの事象は受け手にニュース性を喚起する。全国紙、地方紙、地域紙などがある新聞というメディアの特性が現れやすい。これらの切り口は、防災・減災報道に関わってくる。

(2)1日に2度、世の中を切り取るのが新聞
 新聞報道がどのように伝えられるのか、一般的な仕組みをおさらいする。新聞は、朝刊と夕刊という形で読者に届けられる。同じ全国紙でも、制作・印刷拠点から離れていると朝刊だけの地域もある。地方紙、地域紙では、全域で朝刊だけや、夕刊発行だけという社もある。たいていは、朝夕刊に版があり、締め切りの時間が異なる。全国紙の朝刊は都市部で14版である。実際に14も版立てがあるわけではないが、距離が遠いところから順に紙面を作り、最も新しいニュースは都心部で配られる14版に掲載される。
 街頭などで配られる号外を除いて、同じ地域で同じニュースは再掲されない。1日に2回ないし1回、内容の繰り返しを避けながら、それまでのニュースを総ざらえして、ニュース性の大小を前提にして紙面を作っているのが新聞である。どれだけの大ニュースであっても、同じことは繰り返さず、次の朝刊や夕刊には新たな事象や視点を付け加えた「続報」スタイルにしてニュースに仕立てていく。新たな紙面作りは模索されているが、基本はまだ揺らいでいない。テレビでは、同じニュース映像をくり返し伝えることがあるが、新聞は1日2回の締め切りでの切り分けが明白である。
 どんな大災害であっても、どんな悲惨な被害状況であっても、一度伝えられたら再び伝えにくい。そのために、伝えていない場所を探して「○○地区に初めて入った」などのルポ風にしたり、「地震から5日目」とか「1週間目」として時間にニュース性を持たせたりする工夫をするが、「9日目」とか「27日目」とかになるとインパクトがなくなる。阪神・淡路大震災の報道が、オウム真理教の地下鉄サリン事件で吹き飛んだと指摘されるが、戦後初の都市型大災害であってもニュースとしては息切れしていた時期でもあったと言える。
 新聞には紙面建てがある。各紙が工夫して変化はしつつあるが、1面、社会面、総合面、政治面、経済面、国際面、科学面、文化面、スポーツ面、地方面などとなっている。新聞は文字情報だと思われるかも知れないが、紙面という限られたスペースの中で、どれだけの広さを使って伝えるかが腕の見せ所である。読者は内容を読まなくても1面を見るだけで、世の中で知るべき出来事を一望できるのである。読んで知るのではなく、1面トップの文字サイズを含めた面的大小で直感的に把握できる点は、テレビやインターネットなどに比べての優位性はまだ失われていないといえる。

(3)紙面ごとに担当部署
 これらの面という場所に応じて担当部署があり、記者がいる。例外は1面だけだ。紙面を出しているわけでない時事通信でも、社会、政治、経済、外信、文化などオーソドックスな面単位での「部」となっている。新聞社の地方面は、それぞれ地域割りされた支局に記者がいて、そのエリアのニュースを取材して記事を書いている。
 これらの部署に、どれだけ記者を配置するかは、日々、どれだけのニュースがあるかで決まっている。現場の記者は、同じテーマ・取材対象に取り組む同業他社の記者と共に、取材拠点としての記者クラブに詰めていることが多い。記者クラブ制度の問題についてここではテーマではないので論じないが、官公庁の場合には建物内に場所が用意され、記者会見も行う場にもなっている。どの社でも、出先の記者クラブに所属せず、その時のテーマに応じて取材をする「遊軍」と称する記者チームを置いていることが多い。地方紙は、全国ニュースや他の地方のニュースの大半は通信社の配信記事を使い、記者の大半は地元ネタを取材するため、全国紙に比べて部署数は少ない。
 これらの仕組みは、変化し続ける時代に十分適合しているとは言えず、各社ごとにさまざまな取り組みがなされているが、基本はまだ大きく変わっていないのが現状である。
 その中で、災害という非日常的事態を取材、報道するセクションは、後に詳述するが、ごく一部の報道機関にあるのみだ。災害が引き起こす経済現象は経済記者が、政治的課題は政治記者が取材し、現場は社会部の事件記者が取材し、災害のメカニズムなどは科学記者が紹介する。災害や防災全般について、担当記者がいないと、報道経験の蓄積もされない。かつては、東京の気象庁詰めと在京の科学記者ぐらいであったが、近年、災害・防災担当という記者が増えつつあるのは、良い傾向と言える。

2………災害時の新聞・通信社の報道の実際

(1)災害時は事件・事故報道スタイルが基本
 ここでは、新聞・通信社の特性を踏まえて、災害時の報道の具体例を振り返る。
 新聞や新聞配信を前提にする通信社は、テレビ・ラジオなどリアルタイムで伝えることができるメディアと異なり、気象予警報、津波情報、緊急地震速報、地震予知情報、避難勧告・指示情報など、受け手がその情報を受け取ってすぐに判断して行動をしなければならない分野の「災害情報」を、即時的に読者に届ける術はない。通信社の場合は、メディア特性上は即時性が可能で、新聞社もネット系サービスがあるが、例えば緊急地震速報(警報)を直結して届ける仕組みは、警報導入1年たってもサービスとしては組み込まれていない。これらの情報については、発表されたことが記録として記事にするが、その情報を受け取って何らかの行動をしなければならない人に届ける媒体ではないのが現状だ。
 災害時の新聞報道は、まず基本的には事件事故報道の延長線で展開される。新聞の場合は、大事象を報道する際には、一般的には記事を次のように分けて、取材し記事を書く。5W1Hを基本として、全体的なファクトを伝える本記。大災害時には、本記はさまざまな情報を集約してデスクで書くことが多い。岩手・宮城内陸地震など、近年の地震では初期は、首相官邸や気象庁の情報から始まり、関係省庁、都道府県や当該市町村の情報が加わってくる。関係省庁や自治体、企業など、個別の取材源からの情報を元に書かれるのが関連記事だ。ライフライン情報など、情報を集約してまとめる場合もある。これらは、それぞれの担当記者が取材して書くか、まとめる際にはデスクの遊軍が担当することが多い。
 裁判報道などでは付きものの解説記事は、災害時には専門家取材を元に災害に至ったメカニズムなどが書かれる。だいたいが科学記者の出番である。近年は、気象庁が丁寧に説明をするため、一定の情報は得られるし、研究者自身が半日程度でネットに公開する分析結果なども取材源になっている。「活断層とは」などの用語解説や、識者談話、年表なども大災害時には付きものである。これらも科学記者が担当する。
 現場に駆けつけるのは、近隣拠点や東京、大阪などから応援記者が通常である。彼らが執筆するのが現場を観察し、被災者の話を聞いて執筆される雑観である。災害であるから当然のごとく「初めての経験だ」「被災して困っている」というような言葉が並ぶことになる。珍しいから災害になるわけだし、困らないようであれば災害ではないのだが、お約束のように取材され、掲載されていく。サイド記事は、直後に出されることはあまりないが、事象のある一断面を切り取って伝える記事だ。特定の商店街や被災者個人の状況を掘り下げて取材し、物語として伝える。目立った個人を取り上げ適時にする「人モノ」も、少したったら掲載されることがある。また、写真が中心の絵解き原稿もある。
 大災害であれば、政治や経済、国際的にもニュースになるため、すべての報道部門が関連取材をして、記事を書く。
 これらの一通りのメニューに加え、各社が工夫した紙面作りをして、何が起きたのかを伝えようとする。ただ、これらは、広く読者一般に向けての発信であることが多い。被災の出来事自体、地元は分かっているという前提に立ちがちで、被災地・被災者に向けて伝えるという視点は持ちにくい。客観報道というしばりも、被災地・被災者には報道が遠ざかる要員になる。

(2)地方紙、地域紙には被災当事者性、生活情報は定着
 阪神・淡路大震災では、本社が全壊認定を受けた神戸新聞が臨時編集局で被災地・被災者目線での発信を続けた。朝日、毎日、読売の3紙も地震3日目からライフラインの復旧や受験関連情報などの生活情報を、記事とは別立てで伝えるようになった。3紙も多くの読者と記者自身も居住している阪神間が被災したことで、被災読者を前提にしやすいということもあっただろう。被災当事者の声を伝えるだけでなく、被災当事者に伝えるという意識も見られた。
 その後の災害でも、地方紙、地域紙では、地元目線で伝えることが意識されている。これらは、普段から全国紙と地方紙の競争の中で、地元主語の報道が意識的になされている面もある。一方で、本社がある県庁所在都市から離れた場所での地震被害があった県紙が、地震から数日目に自社企画の記事を1面トップにして支援関係者のひんしゅくを買ったことがある。
 報道機関の拠点や記者が被災当事者になっているかどうかで、同じ地方紙でも目線の置き方が異なってくるのは否めない。有珠山噴火の際は、北海道新聞も特集Webサイトも作って積極的に発信していたが、地元の室蘭民報は住民目線で「安心報道に徹した」としている。(室蘭民報 2000)。
 阪神・淡路大震災をきっかけにして定番化した「生活情報」の分野は、紙媒体という繰り返し読めて、情報を詰め込むことも可能な新聞の得意分野と言える。ライフラインや鉄道、振りかえバスの情報や開いている風呂屋、商店街の情報は、被災後生活に必須であり、半日単位程度の更新頻度で実用に足りる。仮設住宅の申し込みや生活再建支援法の申請なども、記事で伝えるだけでなく、被災地住民が知りたい情報として伝えるようになってきた。災害時には、住民が多様な意思決定を迫られるが、そのために必要な情報の受け取り場所として、新聞が果たす役割は少なくない。
 生活情報は、被災自治体が連日広報紙で直接伝えたり、避難所単位などでのコミュニティペーパー、テレビ、ラジオでも伝えられている。その新聞の版が配られる地域の広さや、普段の取材先とは異なる情報源をどう確保するか、刻々と変わっていく被災地の情報ニーズにどれだけ応えられるか、まだ課題は多い。
 事件・事故報道の時期を過ぎ、復旧・復興に関する記事は、「地震から○日」というような形で、日付を切ってニュース性を付与してまとめるか、サイド記事に仕立てるかの工夫が必要になる。イラスト風の小見出しを付けた「ワッペンモノ」などと言われるスタイルで伝えたり、課題を掘り下げていくような長期連載にしたりして、取り上げていく。長期的に報道していく足腰は、テレビ・ラジオに比べて強いといえる。ただ、その中でも新しい切り口を示すという意識が働くのが報道現場であり、誰もが抱える当たり前の課題などは新味がなく、伝え続けられないため、メディアにも取り上げられないとして孤立感を深めることにもつながる恐れもある。
 新聞というメディアに、よりその傾向が顕著である行政批判報道も、住民を惑わせる。大災害の初期は、自治体行政が十分機能していなくても、批判的には取り上げられないが、復旧復興期に移ってくるとそのトーンが強まってくる。行政が住民のために機能するのは当たり前であり、良い判断をしていてもニュース性が乏しいとみられ、逆の面が強調されやすいという問題もある。

3………防災・減災報道

(1)「ネタが転がる仕組み」で平時からの報道が増加
 災害時に、事件・事故報道の延長である災害報道だけでなく、生活情報の媒体にもなる新聞だが、平時の防災・減災の取り組みを伝えるメディアにもなる。取材体制からみてみると、防災や減災の政策は内閣府の防災担当記者や、総務省消防庁担当、気象庁担当、国土交通省担当などが日常的に追いかけている。阪神・淡路大震災と省庁再編を経て、形式的だった中央防災会議を実体化させた内閣府の防災担当が、多くの専門調査会を設置して、被害想定や地域指定、対策大綱、戦略、応急対策などと、次々にマスコミにもネタを提供し、政府ぐるみでの対策を進めるようになったことは大きい。かつて、東海地震対策は「一度決めた法律を動かしてもいないのに見直せない」(国土庁)などという内向きの議論が横行していた。
 かつて政府の地震調査研究推進本部が災害に詳しい記者を呼んだヒヤリングに参加したことがある。その場で、NHKの山崎登解説委員が、「一つのニュースを受けて”では次にどうなる、どうする?”という読者の関心を呼ぶような『ネタが転がる仕組み』が必要だ」と指摘していた。この内閣府が作りだした被害想定から大綱、戦略、対策という流れは、まさにネタが転がる仕組みそのものである。
 記者が日常的に取材して報道する対象が作られれば、それを取材しつづけることになる。報道だけでなく、各省庁や自治体に内閣府から課題を与え続けていくことで、それぞれが取り組んでいかねばならなくなる。近年、防災・減災施策が日常化してきたのは、この功績が大きいのではないか。総務省消防庁や国交省、気象庁、文科省なども、より積極的に防災、減災、災害対策の施策を打ち出しており、これらが日々、ニュースとして伝えられることになる。
 ただ、日々、取り上げられる分だけ、ニュースでなくなると言う側面も出てくる。行政組織としての業務継続計画(BCP)は、本質的にはその組織の存在意義を問い直すような作業の結果であるが、やって当たり前の施策と考えられて報道されないことが少なくない。
 一方、自治体にとっても災害対策を含む危機管理が重要な政策課題になってくる中で、かつては日常的な取材対象として考えられていなかった災害、防災などの部門に、兼務であれ担当を置く地方紙が増えている。(社)日本地震学会が、毎年、各地で開く学会大会の際に開催する記者懇談会では、全国紙の科学記者と共に、兼務であれ地元の防災担当であると名乗る記者は増えている。防災基本計画で指定公共機関に位置づけられたNHKや、都道府県の地域防災計画で指定地方公共機関に位置づけられている民放は一定の取り組みが義務とも言えるが、新聞社にも増えていることは、平時からサイエンスの面までも関心を持って取り組もうとしている現れだろう。週1回とか月に1回、防災面を持つ新聞も増えている。面を置くことで担当記者の仕事の場ができ、継続的な取材が行われることになる。

(2)地元紙には地域の災害を振りかえる役割も
 災害後に、記録として写真集や特別縮刷版などを出すのは、営業面からの要請もあるだろうが、地方紙のまとめ本には、地元を任されているという気概を感じさせるものが少なくない。一度に43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳の火砕流災害では、避難勧告地域にカメラマンが残り続けたことで消防団員らが亡くなったと指摘されたことをきっかけに、10年間にわたって市民とマスコミの対話集会を続けられたのは九州の新聞各社や新聞労連九州地連の働きが原動力となっている。個人の記者として動ける範囲の大きい新聞記者のほうが、こだわりをもったテーマを追い続けられる可能性があるからでもあろう。
 防災や減災の啓発で、新聞が果たす役割は大きい。災害事象はローカルごとに異なるため、地方紙にとっては格好のテーマとも言える。大分合同新聞が創刊120周年を記念して、大分大学と共に1年間の共同プロジェクトとして「防災立県めざして」というキャンペーン企画を行っている。ここまで徹底した企画でなくても、地元の災害などについて取り上げた企画は少なくない。連載した後に本にした事例で見ても、信濃毎日新聞社編集局編の「信州の活断層を歩く」であるとか、静岡新聞社編の「富士は生きている」、高知新聞社編「南海地震にそなえる」など、数多い。これらは、全国紙よりも地方紙が地元を知る一つの切り口として災害を取り上げているケースがほとんどだ。(中川和之 2003)
 また、各新聞の地方面では、住民の顔が見える記事が好まれる。今日が1歳の誕生日の赤ちゃんの写真を載せたり、地域のスポーツ大会の結果を詳細に載せたりすることで、読者に身近な新聞であろうとしている。そのテーマの一つとして、地域防災の取り組みは格好の話題である。まだまだ、地域防災の取り組みが広がっていないからこそネタになるのであるが、何かが「けしからん」というのでなく、「みんなで協働してがんばっています」といういい話として伝えることができる。ただ、これらの取り組みは、少しおしゃれでハイソな要素もある環境系に比べ、地味で汗臭いところもあるため、ニュースネタとしては弱いところもある。
 これらの地域の取り組みを伝える媒体としては、地方紙や地域紙よりももっとサイズの小さいタウン誌やフリーペーパーも役割を果たしている。私の住む横浜でも、地元紙の神奈川新聞社よりも区ごとの版で発行しているフリーペーパーのほうが地元密着をしており、営業兼務ではあるが記者もいるため、ときどき地元ネタとして防災の話題が取り上げられたりする。

4………新聞報道の役割と今後

 紙というメディア上であれ、ネット上であれ、文字で伝えるのが新聞の役割である。直感的なイメージを喚起する力は映像にはかなわないが、繰り返し読むことができる文字媒体ならではの有利な点がある。緊急地震速報や火山警報など最も新しいリアルタイム系の災害情報も、その情報で適切な行動をするためには、単に知っていれば反射的に行動できるわけではない。その情報の背景も知り、意味を知ってこそ、納得して行動に移せるのではないか。
 短く整理されて分かりやすい文章という特性を活かし、被災地住民の判断や行動の指針をどう示していけるのか、国や政治に何を判断させるのか。日本中はどこでもといえる「想定被災地」に住む住民、地域、自治体、企業に、日ごろから何を考えて、行動すればいいのかの課題を投げかけることができる。
 新聞報道は、ローカル性、地域性に即した情報の伝達が可能であるという点に特徴があるはずだ。全国紙であっても地方版が必ずある。メディアの特性上広域にならざるを得ないテレビ・ラジオとは異なる点だ。もちろん、地方紙、地域紙は、地元の自然の成り立ちや恵みの部分も含めて、地域特性を活かしての報道が可能であるだろう。
 地域レベルでの防災の取り組みは、かなり盛んになってきている。その中には実は、地元では宝物に気がついていないが、全国で自慢しても良いようなものも隠れている。そのようなものを探し出して伝えていくことも、新聞報道ならではの役割だと考えたい。

【参考文献】
室蘭民報,2000「有珠山−平成噴火とその記録」.
中川和之,2003「1万年をイメージできる感性を地域に養えるか=「宮崎を造った火山の話」から地域メディアの役割を考える」『月刊地球』第293号.


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