自然の恵みと激しさの実感で、専門家任せから脱却
遠ざけるだけの防災から、リスクを見える化して防災意識の日常化を
「CE建設業界」2008年11月号 意見・提言

中川和之 時事通信社「防災リスクマネジメントWeb」編集長

 世界中の大地震の二割、活火山の一割を引き受けているのが、私たちの暮らす日本列島だ。人びとがこの地に暮らし始める以前から、時に地は揺れ、山は崩れ、噴火をし、川の水は溢れてきた。東海・東南海・南海地震が連動して起きると、中国地方全域よりも広い範囲が一〜二分かけて十メートル近くずれ動く。九州を火砕流で焼きつくし、列島中に火山灰を降り積もらせるような噴火は、数千年に1度、日本列島上で起きてきた。今年6月の岩手・宮城内陸地震は、1500万年前の日本海誕生で大陸のヘリから列島が造られた際に引っ張られてできた古傷の正断層が、プレートの沈み込みで働く圧縮力で逆断層となって発生した。栗駒山の噴火で地表を覆った軽い火山堆積物が、激しく揺すられて巨大地すべりを起こした。まさに、生きている日本列島の成り立ちを学ぶ教科書のような地震だった。

 人が科学の目でメカニズムを理解するまでは、地震や火山、大洪水などは神の力がもたらしたものとされてきた。土石流が頻発する地には「竜ヶ水」などの地名や竜神がまつられ、八岐大蛇伝説も土砂災害が由来という。巨石が転がり落ちる土石流の映像は、いくつもの頭部を持つ竜が川を駆け下る様子そのもので、そこから運良く生き残った祖先が、地名や伝説に託して子孫に伝えてきた。
 一方で、地震や火山の活動で作られた山や谷、盆地、なだらかな斜面など変化に富んだ地形は、先人がこの地に暮らしやすい条件を整えた。断層の活動は、地下水を地表に導き、豊かな農作物を約束した。灘や伏見、新潟などの酒どころの周りには活断層がある。断層沿いのまっすぐな地形は、街道や峠道として活用されてきた。時に過剰な風雨をもたらす気候変化は、四季折々に豊かな作物を与えてくれた。そして人びとは、自然が時にもたらす災いに対しては、人の力の限界を前提に、正面から立ち向かわずに力を逃がす信玄堤のように「敬して遠ざけ」てきた。

 近代科学によって、我々はより強固に災いの元を遠ざける術を得た。「敬して遠ざける」だけでなく、コンクリートの塊で隔てることで、すぐ隣にあるリスクを意識しないでも暮らせるようになった。便利さや経済成長のために開発が進められ、ゼロメートル地帯の周りを堤防で囲み、山にはダムを作り、火山のふもとに砂防ダムや流路を作ってリスクを押しのけてきた。そのため、この地で暮らす私たちは、自然の恵みだけを享受できると誤解するようになってしまった。そこに災いの元があることも思い起こすことなく、便利な暮らしだけを考えるようになってしまっていた。

 阪神大震災を引き起こした地震は一九九五年一月、神戸を襲った。「大地震は東海地震や首都圏で起こるもの。関西に大きな地震はないと思っていた」と多くの住民は驚きの声を上げた。地震の専門家にとっては、いつかはあり得る常識的な地震だった。最もシェアが大きい中学教科書にも六甲山は断層でできた山と紹介されていた。にも関わらず、住民は意識していなかった。
 私自身も、小さいころからハイキングやキャンプで親しんできた六甲山が、断層の山であり、いつかはずれ動いて地震を起こすと考えては暮らしていなかった。山の緑を背にした南向き斜面は住宅地におあつらえ向きで、赤道を越えても腐らない豊富な水は港神戸を支え、中心部から徒歩で訪れることができる断層崖上の公園からは宝石箱をひっくり返したような夜景を見て恋人たちが愛をささやけるのも六甲山が地震の山だからだ。私たちは、そんな山の成り立ちを知らないで暮らしてきた。

 これまで土木の専門家や行政は、自分の仕事に熱心なあまり「リスク対策は我々に任せて、安心して暮らして下さい」というメッセージを出し続けてきた。マスコミは、自然がもたらすリスクの大きさを知りながら、過剰な行政・専門家依存を招く報道をしてきた。この災害大国日本で、人ごとのような「お任せ民主主義」を続けていては、自らの命も、子孫につなげる暮らしも守れない。リスクを隠すのではなく、日常的に意識できるよう「見える化」して、日ごろの備えにつなげることが求められている。

 この地球の営みを、観光資源としても親しんでもらう「世界ジオパーク」が、来年から日本にも誕生しそうだ。「ジオ」とは地質のことで、悠久の昔の地層から近年の地震や火山活動までの自然の驚異をテーマに楽しんでもらおうというものだ。ユネスコが関わって世界遺産に似た仕組みで認定され、欧州や中国などにはすでにいくつもの世界ジオパークが誕生している。日本ジオパーク委員会が推薦地域を選び、世界ジオパーク委員会の認定を目指している。
 名乗りを上げている地域の一つ島原半島地域で行われた委員視察の際、砂防工事では除去対象となってしまう雲仙普賢岳の火砕流堆積物を、保存して見学できないかという提案が行われた。これに対し、国交省雲仙復興事務所は砂防計画を再検討すると応えたという。犠牲者も出した火砕流の怖さを間近に見て学ぶことができる格好の場所になりそうで、リスクを隠すのではなく、楽しく見せる方向への転換と歓迎したい。

 「地震は一瞬、恵みは一生」。日本地震学会と日本火山学会が毎年行っている「地震火山こどもサマースクール」に参加した小学生が作ってくれたキャッチフレーズだ。怖い、恐ろしいだけの災害リスクを示されても、「私には関係ない」という根拠に乏しい正常化バイアスが働いてしまう。それよりも、誰もが日常的に受けている恩恵が災害と不可分であることをリスクの可視化を通じて理解することで、社会全体の防災力が向上することを期待したい。自然の前では、誰でも当事者なのだから。


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