自らが要援護者にならないために
「ふくし笠間」2008年9月(横浜市栄区笠間地区社協広報紙)

中川和之 横浜栄・防災ボランティアネットワーク運営委員(時事通信社編集委員)

 14年前の1月17日午前6時前、第3大船パークの自宅で寝ていたら、社会部の当直をしていた後輩から「神戸で地震がありました。マグニチュード7.2で震源は淡路島だそうです」と電話がありました。私は科学記者として地震を取材していた経験があるので、呼び出しがかかったのです。すぐに神戸の隣の芦屋市にある実家に電話をしたところ、父親は不在でしたが、母親の「いま、がれきの中から電話をとりだしたところ。誰もけがをしていないし大丈夫」という声をて聞くことができました。
 「がれき」という言い方が、いつもの冗談を言うときのハイテンションな調子だったので、”電話の横に不安定においてある本などが電話の上に落ちてきただけだろう”と軽く受け流し、実家はそれほど大きな被害を受けていないことを確認して出社しました。
 あとで分かったことですが、両親の寝ている枕元のタンスが普段は父親の上半身がある場所に倒れており、たまたま母親一人だったので直撃を免れていたのです。両親の部屋を直後に撮った写真を見たら、倒れたはめ込みの壁とタンスの隙間からほとんどふとんが見えていませんでした。
 家の自体は半壊で済んだものの、もしここでケガをしていたら、いきなり支援が必要な要援護者になってしまい、その後の被災生活も不自由になったことでしょう。私も、神戸の取材から地震から2週間後に帰った後、さっそくタンスが倒れてもケガをしないように寝室の模様替えをしました。災害への備えで最も大事なことは、自分の身の安全を守れる環境を作ることなのです。家が潰れなくても、家具やガラスでケガをしないようにすることです。私たち、横浜栄・防災ボランティアネットワークでは、耐震と家具固定の大切さを分かってもらうための出前講座を行っていますので、ぜひお声がけ下さい。

 もう一つは、少しの備えが災害に対して立ち向かう意欲につながることを母親から教わりました。寝室の写真は、当日早朝の暗いうちに撮ったものでした。地震直後の行動を聞いたところ、母親はまず、枕元に置いてある着替えをふとんの中から手を伸ばして取り、反対の手で倒れた壁の下に転がり込んだ懐中電灯を取り出し、靴下をさらに3枚はいて身支度をしたそうです。台所でガス元栓が締まっているかどうか懐中電灯を照らしてチェックし、2階の妹の無事を確認して着替えさせました。大きな揺れが収まって1階に降りてきたところ、カメラが目に入り「これを撮れるのは今しかない」と思ったそうです。
 焼夷弾に追われた経験もある戦中派の母親は、寝るときには常に着替えを枕元に用意していました。突然の地震でしたが、手を伸ばして着替えがあったことで我を取り戻し、写真まで撮ってしまいました。無理なくできるちょっとしたことでいいのです。突然の災害時に「よし、私の備えが役立ったぞ」と思えたら、勇気がわいてくるでしょう。(了)


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