連載・「防災施策と情報提供 災害の影響を少しでも軽減するためにどうすればよいか」(4)

被災生活を支える情報をどう伝えるか―阪神・淡路大震災 災害時には自治体が責任を持って伝えることができる広報媒体の発行が重要

月刊『広報』(日本広報協会、2007年7月号)

 中川和之 時事通信社編集委員

 地震災害の後、住民の救助や避難などが一段落すると、罹災(りさい)証明の発行、資金貸し付け、がれきの撤去、応急仮設住宅の設置など、住民に伝えねばならない自治体の災害対策施策はたくさんあります。大規模な都市型災害となった神戸市では、公開されていた災害対策本部で現状説明の取材対応はある程度できたものの、対策について市民に伝えることができませんでした。

 テレビのインタビューに答え、その場に拠点を置いたNHKラジオでも情報を流してもらうのですが、市内約六百カ所の学校や公共施設で最大二十四万人に上った避難者らに対する情報提供は、マスコミを通じるだけでは十分届きません。四日目から広報紙の発行準備に入ったそうですが、実際に発行できたのは九日目。当時神戸市では、いつも発注している印刷会社など市内はほぼ全滅で、紙の入手も難しかったといい、結局大阪の広告代理店との間で、印刷からバイク隊による配布や張り出しの仕組みを構築して発行に漕ぎ着けました。

 避難所を中心にして電柱や壁など1000カ所に板張りで掲示されたB4判の「こうべ地震災害対策広報」の第一号には、一回目の応急仮設住宅の募集開始の情報が掲載されました。仮設住宅の申し込みをめぐっては、先着順なのか、抽選なのか、場所を選べるのかなど、マスコミ情報だけでは分からないことも多く、市民も混乱していました。「自動車免許があれば(仮設住宅の)申し込みができる」とのデマが流れたところもあったそうです。

◇後手に回った広報紙の発行

 広報紙は住民への広報だけでなく、携帯することで市民からの問い合わせに安心して答えられ、行政職員にも非常に役立ちます。役所から何からの書いたものを避難所に張り出せたのは、この広報紙が出てからとなった区役所もありました。自治体が責任を持って伝えることができる自前のメディアの発行が重要なのです。

 前回も紹介した当時の広報課長、桜井誠一神戸市保健福祉局長は「1週間以上、マスコミ媒体に頼り切ったことは反省材料だ。自治体の広報紙は24時間以内には必要。現在では、大半の自治体の防災計画に広報計画が盛り込まれてはいるが、時間変化とともに行う広報内容のチェックリストまで用意されているか確かめてほしい」と指摘しています。
 ちなみに、神戸市では、通常の新聞折り込み方式での広報紙配布が、震災から4カ月後に再開されました。道路管理者から「電柱に掲示しているのは『違法広告物』」と指摘されたのをきっかけに、平時のやり方に戻したそうです。

 阪神大震災までは、災害時の情報というというと、避難勧告などを伝える緊急情報や、被災程度を伝える被害情報が一般的な考え方でした。ところが、仮設住宅の募集情報や鉄道やライフラインの復旧情報という公的なものから、近所のお風呂や商店の営業情報、給水車の巡回情報など、身近な情報が必要とされました。これらは、手に持って確認できるような印刷物で伝えられるのが有効でした。

 活字メディアでは、地元の神戸新聞が被災6地区でタブロイド版を発行し、「阪神大震災情報FAX号外」も作成。朝日新聞は連日一面にイラスト入りで「交通とくらしの被害と復旧状況」を、毎日新聞は「希望新聞」というロゴまで作って最終面に生活情報を掲載。読売新聞も「震災掲示板」を設けるなど、各新聞社も特別コーナーで伝えていました。
 それでも新聞はそれほど細かい情報は伝えられれません。東京のNGOグループが、トラックで持ち込んだ印刷機を使って、長田区を中心に水や食料、ボランティアの募集など、大手メディアが報じない草の根情報を扱う「デイリーニーズ」を毎日1万部発行するなど、被災地内や避難所などで情報誌が作られていきました。自治体の広報紙は、そこでも貴重な情報源になっていました。

 広報紙の即日発行の重要性については、一九九九年十月に行われた災害情報学会の第1回研究発表大会で、「財団法人消防科学総合センター」の黒田洋司主任研究員が、震災時の広報紙状況を分析した結果を元に提言されていました。住民に対する情報提供手段だけでなく、作成の情報集約が関係部局や住民も含めた活動を円滑化すると指摘し、「連携」の武器にもなりうると指摘しています。

 その後、それを現場で実践したのが、東京都練馬区でした。予定原稿を作成しておき、防災訓練時に当日の模様を多少加えて第一号を発行するという実践訓練を重ねています。新潟県中越地震の際、川口町に対して練馬区が行った「広報紙作成支援」は、これらの備えがあったからできたことでした。発行前の段階では川口町役場内に広報紙の重要性は理解されておらず、練馬区広報課の職員が取材をして回って第一号を発行しました。それが出たとたん、住民からの反響があったほか、庁内でも互いの動きが分かるようになり、あっという間に「これを載せてくれ」と情報がどんどん集まるようになったそうです。

◇トップの姿はメディア

 メディアは、新聞やテレビ、ラジオという媒体だけではありません。首長自身の姿がある種のメディアになります。雲仙普賢岳噴火災害の際、見る度に髭が伸びていった鐘ヶ江管一島原市長の姿は、メディアに姿が出てくるだけで訴える力がありました。阪神大震災当時の貝原俊民兵庫県知事は、自らの避難所に足を運んでメディアの前に姿を出すなど、災害に立ち向かうというメッセージを発していました。

 一方で、当時の笹山幸俊神戸市長がメディアを使って積極的に市民の前に姿を見せることはほとんどなく、メディアを通じた市民への伝達は広報課に任されていました。都市計画のプロであり、仕事は切れる方として職員の信頼も厚かったのですが、記者会見での説明はうまいとはお世辞にも言えないのは私も実感しています。  それにしても、市長が姿を見せなかったことが、市民の不満だけでなく、職員のやりにくさにもつながったことはまちがいありません。トップには、第一回で書いたような初動の動きだけが問われるわけではないのです。当然、発言内容をトップのセンスだけに委ねてるのではなく、平時からの担当レベルでの準備こそ重要なのです。

 施策などを伝えるだけでなく、現場の状況をどう把握するかも、情報を考える大事な視点です。阪神大震災では、当時の桜井広報課長が当日の朝、課員に対し「出勤途上でビデオを持ってまちの中を撮りまくってこい」と指示をしています。この映像の一部は、今でも神戸市のホームページから見ることができます。「情報は待っていても来ない。現場に取りに行け」というのが大原則です。
 兵庫県も、貝原知事の提案で二つのプロジェクトが行われました。一つは「避難所緊急パトロール隊」です。県職員二百人と警察官三百人をパトカー百台に同乗させて避難所を巡回し、被災者の要望や苦情を直接聞き出して、対策に反映させていました。避難所がある市町には、現場での聞き取り情報が共有されないまま、県庁から「対策しろ」という指示が来るので困惑した話も聞きましたが、情報を取りに行けのいい例です。
 また、生活再建の支援に大きな役割を果たしたのが、半年後に設けられた「被災者復興支援会議」です。よくある諮問会議のたぐいではなく、十二人のメンバーのうち、行政の立場は二人だけで、あとはすべて専門家やまちづくりのプランナー、NGOら。プロジェクトメンバーとして県の関連部署の課長、係長ら約三十人が参加。百四十数回に及ぶ「移動いどばた会議」で、週二、三回、会議メンバー二、三人が県のプロジェクトチーム職員と一緒に、避難所や仮設住宅などに出向き、現場で住民らと膝詰めで話を聞いていたのも、現場からの情報収集のいい例でしょう。(了)


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