災害文化を根付かせるために

建築士会報2005年9月号特集企画「防災・減災・耐震」

中川和之 時事通信社 編集委員

 日本列島は、世界中のマグニチュード6以上の地震の2割、活火山の1割を引き受けています。それらで作られた山や谷、盆地、なだらかな斜面など、変化に富んだ地形は、先人がこの地に暮らしやすい条件を整えてくれました。周囲を取り巻く海は、ごく希に津波や高潮が襲いましたが、日々は恵みの宝庫です。気候変化は、時に過剰な風雨をもたらしますが、四季折々の変化は豊かな作物を与えてくれます。それが私たちの暮らすこの地の風土です。それが、日々の生活で、社会で、経済活動で意識されているでしょうか。

 敗戦前後の巨大地震も、災害対策基本法が制定されるきっかけになった伊勢湾台風による被災も、高度成長によって補われ、すっかり忘れられていました。関東から中部・東海、近畿、四国にかけての地震活動は、たまたま次の地震サイクルに向けたエネルギーを蓄える段階だったのですが、右肩上がりが当たり前に信じ込んでいた私たちは、バブル崩壊の後も自然の営みを充分意識しないまま、1995年1月17日を迎えてしまいました。

 次の高度成長などは想定できず、95年よりも蓄えが失われた今、度謙虚に自然の営みに目を向け、被害を軽減する災害文化を根付かせていかねばなりません。

「常識」はどこまで打破されたか?

 災害対策は、まずその地にどのような外力=ハザードが働くのかを想定し、それに備えるのが基本です。海がないところに津波対策は不要です。次の関東大震災までの間隔を考えると、首都県広域を襲う地震にしばらくは備えなくても大丈夫なのです。

 阪神大震災以前は、専門家も含めて多くの人は次の大地震は東海地震と考えていました。日本の大都市周辺には、必ずといっていいほど、活断層があるにもかかわらず、その断層で地震が起きたらどんな揺れが地表を襲うかを考えた備えは不十分でした。

 阪神大震災の後、全国の主要活断層の評価や、そこで起きる地震が引き起こす地表の強い揺れ=強震動の評価も行われています。プレート境界型の地震も、東海地震、東南海・南海地震、首都圏直下地震、関東東岸から北日本の太平洋岸を遅う日本海溝型地震を対象に、より具体的な被害想定が作られつつあります。

 現場で災害対策にあたる自治体が、防災計画をつくる際の前提になる災害像が、ようやく具体的に見えるようになってきたのが現段階でしょう。

揺れが起こす災害の「1丁目1番地」とは?

 阪神大震災以前の地震対策のいの一番は「地震だ、火をけせ」の初期消火でした。台風くずれの低気圧の影響で強風下の首都圏を襲った80年前の関東大震災の悲劇をくり返さないとの考えからでした。

 阪神大震災では、9割の人が壊れた家によって亡くなっています。関東大震災でも、火災が拡がり始めたところは家が壊れたところでした。家が壊れなければ、人も亡くならず、火災も燃え広がらず、その後のくらしの再建もたやすくなります。揺れても、ひどく壊れなければ、被害が激減するのです。

 中央防災会議が今年3月、地震防災戦略で住宅の耐震化の数値目標を初めて打ち出しました。住宅政策を担当する国土交通省は、来年度予算で支援政策を本格化します。いくつかの先進自治体の取り組みもありますが、住宅の耐震化が地震防災政策の「一丁目一番地」(内閣府)になったのは、ごく最近のことです。

 阪神大震災以前は、日本の地震ハード対策は進んでいると考えられていました。震災後、高速道路などの落橋防止対策は進められていますが、新幹線などの脱線被害防止や。長周期の揺れによる高層ビルなどへの被害想定もこれからです。

防災は専門組織の力より、地域力、市民力から

 阪神大震災以前は、災害対策は専門家や専門機関、防災担当者が取り組むものでした。被災したら、日頃の防災訓練通り、直ちに消防や警察、自衛隊が大勢、救援に来るので、市民は初期消火や火災から避難をする役割しか考えられていませんでした。行政の中でも、消防・防災部局の仕事でした。

 1984年の長野県西部地震で、人口1500人の王滝村役場が、コピー用紙もないと大混乱する状況を目の当たりにして、小さな自治体には災害対応力の限界があると感じました。それは自治体の体力ではなかったことが、政府も含めて大混乱した阪神大震災で証明されました。一方で、市民がボランティアの力を借り、行政の限界を見据えた行動をしました。人々が悩みながらまちの復興が進められました。

 東京都の事前復興計画プロセス編は、災害前からその地域力・市民力を育てようとしています。地域の防災力の向上への具体的なプログラムや、日本を支える大小さまざまな企業が災害時にどう事業継続するかは、まだ緒に就いたばかりです。復興にも、事前の備えにも、市民の「難局に立ち向かう意欲」がカギです。これからやることが多いのは、逆に取り組み次第で多くの命や暮らしを救えるということなのです。(了)


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