被災後の暮らしをどうたて直すか=経験を活かすために、普段からなすべきこと

季刊「都市政策」第118号(神戸都市問題研究所編、2005年1月)

 中川和之 時事通信社

 大規模な都市型災害への備えがないまま大地震に遭い、応急救助から生活再建、復興と、多様にわき出てくるニーズの後追いをしながら手探りで進めてきたこの十年。関わった当事者たちの多くの反省から、さまざまな制度面の改善が行われた。災害対策の根本を定めた災害対策基本法(災対法)の改正、家財購入や住宅再建経費を支援する生活再建支援法の制定・改正、地震防災対策特別措置法の制定と政府としての地震の調査研究体制の確立、大地震の発生から30分以内で首相官邸に集結する危機管理体制の確立、実態会合のなかった中央防災会議の定例開催化−などなど枚挙にいとまがない。

 問題は、制度が作られたから解決するわけではない。これらの制度をどう使うか、そのために日頃から何をしておけばよいのかが重要だ。制度設計がそこまで考えられていればいいのだが、あまり厳密なものにすると、かえって使い勝手も悪くなる。ましてや相手は、地域によって、災害の種類によって多様な顔を見せる。二〇〇四年は、集中豪雨や上陸した10の台風による風災害、土砂災害、洪水、高潮などの被害があり、新潟県中越地震は本震の揺れによる建物倒壊や斜面崩落、余震による2次災害などが発生し、山古志村は道路が閉ざされて土砂災害の危険性から居住できず、丸ごと避難した有珠山麓の虻田町や、三宅村といった火山災害のような様子さえ呈している。
 これまでなら、法制度を所管し日本中の経験が一定程度は集約される中央省庁が、経験不足の自治体に指示をすることで備えの不備を支えることもあったが、地方分権の時代で一方的に上から落とし込むようなやり方はできにくくなっている。ここでは、避難所や食事供与、仮設住宅など被災直後の応急救助を支える災害救助法(災救法)の運用の見直しや現状と、平時に求められている地域の取り組みの事例について報告する。

災害救助法の二つの委員会報告

 災害関連法では重要な位置を占めるにもかかわらず、阪神大震災後、法律には手を付けられなかったのが災害救助法だ。災害時の応急対応の見本のように言われている米国の連邦危機管理庁(FEMA)は、緊急時の支出権限を持っていることが強みだと言われる。それは日本で言えば大半は災救法の領域でカバーされており、うまく運用すれば万能とも言える制度との指摘もあるほどだ。
 死者・行方不明者が五千人を超えた伊勢湾台風(一九五九年)をきっかけに、災害対策基本法が制定されるまでは、国の災害対策の基本法でもあったのが災救法なのだが、その時の改正が実質的には最後。自治体などが行う災害時の応急対応の経費を、国が負担することを定めた重要な法律であり、震災が起きた直後に、厚生省内外から災救法改正の検討が指摘された。しかし、詳細な規定を法律で定める現行通常業務の法体系とは発想が異なり、弾力的な特別基準の運用などで災害の規模や状況に応じた対応が可能であることから、改正の必要性はないとされた。

 被災者に対する「応急的、一時的な救助」が災害救助法の範囲で、個別の状況に応じて行われる復旧や復興支援などとは異なり、基本的には国籍や収入に関係なく全ての人を対象に行われる。同法第23条と同法施行令第9条で定められた救助の内容は、伊勢湾台風後の改正以降、次のようになっている。
 避難所及び応急仮設住宅の供与
 炊出しその他による食品の給与及び飲料水の供給、
 被服、寝具その他生活必需品の給与又は貸与
 医療及び助産
 災害にかかった者の救出
 災害にかかった住宅の応急修理
 生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与
 学用品の給与
 埋葬
 死体の捜索及び処理
 災害によって住居又はその周辺に運ばれた土石、竹木等で、日常生活に著しい支障を及ぼしているものの除去

 ところで、これらはある意味では、周囲に災害で困っている人がいたら、やるべきごく当たり前のことであり、別に法律でやれと言われなくても良いような中身でもある。基本的に、災害発生時の災害応急対策は、災対法50条(災害応急対策及びその実施責任)で首長の義務とされており、1999年改正前の地方自治法第2条3項(事務の例示)には、「防犯、防災、罹災者の救護、交通安全の保持等を行うこと」とあったように、市町村の本務なのだから当然だ。災救法は、災害が一定規模を超えたら、当然市町村がやるべきことの財源が市町村の力量を超えるだろうから、経費を国や都道府県が面倒をみましょうという法律なのだ。小規模災害だから、自治体は何もしなくても良いのではなく、自分の財政の範囲で、同様の対応がなされるのが当然であろう。

 一方、災救法の具体的な基準、つまり国や県からどこまで面倒を見ますという基準は、通達・告示で定められている。しかし、阪神大震災では、避難所のカーペットや間仕切りパーテーション、仮設住宅のエアコンやコミュニティー施設など、当時の通達になかった対策が行われた。これらは、いずれも超法規的に対応されたのではない。災害救助法自体の枠組みがそれを可能にしていることが、まず押さえられねばならない。厚労省の担当者も「やるべき当たり前のことをやれば、その経費はあとで面倒を見るからという法律。細かい基準にこだわって欲しくない」と指摘する。その根拠が「特別基準」の運用だ。
 同法に基づいて実施する救助の基準費用などを定めた厚生事務次官通知は、一九六五年に出されて以降、物価スライドなどはあったものの、その内容はほとんど変わっていなかった。しかし、その冒頭には「この基準によりがたい特別の事情があるときは、そのつど厚生大臣に協議し、特別基準を設定することができる」ということが記載されている。ここが災害救助法の枠組みの中で、最も重要な項目であり、あえて特別立法などをしなくても、後手ながらも実施された対策の根拠だ。残念ながら、震災直後にこの運用法を知らない一部自治体の幹部が「すべて国の基準通りの実施を」と指示し、現場からの要請を厚生省に働きかけなかったため、地元では「国はこんな基準でできると考えているのか」と政府を批判する声が噴出。一方厚生省では「なぜ特別基準を求めてこないのか」と首をひねり、混乱に輪をかけてしまった。
 これらの反省から、所管する厚生省では、震災の直後の九五年から九六年にかけて災害救助研究会が、旧国土庁で住宅再建支援制度が検討されていた〇〇年−〇一年にかけては大規模災害救助研究会が設置された。これらの研究会での検討と、省庁再編や地方分権法によっても見直された内容をおさらいしておこう。

震災の特別基準を制度化させた災害救助研究会報告

 最初の研究会では、大都市で大規模な災害と言うだけでなく、災害によって一人一人の暮らしで失うものが多くなった豊かで高度化され、多様化された社会での災害に対する備えが不十分だったとの反省を踏まえて、基準の底上げなどを提言。それを受けて、震災では特別基準のオンパレードで後手ながら実践したことのメニューの大半を、同省の通達の中に盛り込んだ。
 もともと特別基準としてできたことなので、新設したというものではないが、メニューを事前に明確にしておくことで、災害時に混乱して後手に回ることがないようにするためだ。また、あとになって充実したプログラムが出てくると、その結果として一部の人には「ゴネ得」に見えることも避けられるからだ。後出しジャンケンのように、待った方が得と感じられてしまうと、被災後の地域の復興や暮らしの再建を進める上で重要な意欲を損ねてしまいかねないからだ。つまりせっかくの制度が、被災者をエンパワーメントするどころか、場合によってはスポイルをしかねないと言うこともあるのだ。

 このために、1回目の研究会報告を受けて改正された通達では、数日間、炊き出しのおにぎりを食べて、毛布にくるまって雨露をしのぐと言う程度のイメージしかなかった避難所を、生活の場としても位置づけ、避難所設置費に支出できる費用として、新たに「テレビ・ラジオ、公衆電話、公衆ファックス、仮設トイレ、仮設風呂、仮設洗濯場(洗濯機や乾燥機を含む)、簡易調理室、冷暖房機器、仮設スロープ、更衣及びプライバシー確保に必要な間仕切り設備などの機械、器具、備品、仮設設備等の整備に要する費用を含む」とした。基準額も震災と同等の水準に引き上げ、事務費用も避難所の設置費に含むことで、例えば避難所内新聞を出す際の紙代など消耗品も避難所の費用とした。さらに、高齢者や障害者などの要援護者で避難所生活で特別な配慮が必要な人向けの「福祉避難所」も明確に位置づけた。
 食事の提供単価も引き上げ、食料などの供給契約を地元業者に移行させて暖かい食事を確保し、避難所内に炊事場を備えて、食材や燃料を提供して被災者自身が食事を作れるようにすることも盛り込まれた。
 仮設住宅は、まず一戸当たりの広さの基準の拡充やバリアフリー対策も含めて基準費用を4割アップし、エアコンや敷地の整地費、水道の配管などは必要な場合の特別基準としてさらに上乗せが可能とした。また、仮設住宅をまとめて設置した際には集会施設を設置できるとし、公団や公営住宅の一時使用や、民間アパートの借り上げも含めた。
 大規模な仮設団地には、商業施設の誘致や路線バスを増発・開設させるとともに、自治会などを育成。集会施設を、自治会活動などの拠点や、行政などによる保健・福祉サービスを提供する場としても活用し、住宅や就職相談などの行政サービスを、関係部局が連携したチーム方式で対応することなども求めている。さらに、高齢者の一部仮設への集中を避けるとともに、高齢者や単身者など孤立しがちな人に対して、自治会を中心にボランティアらのネットワークで見守り活動が行われるよう配慮。民生委員や保健師らの訪問による積極的なニーズの掘り起こしに努め、被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に対応した精神保健対策の実施を求めている。
 これらは、通常の法運用からすれば、実質的な法改正にもあたるとも言える。

事前の備えと合意形成を訴えた大規模災害救助研究会報告

 一方、旧国土庁で住宅再建支援の在り方を検討する委員会が設置され、災救法上の仮設住宅の延長線にある制度変更に備えるためと、二〇〇〇年の地方分権一括法の施行を踏まえ、著者も専門分科会委員として参加した大規模災害救助研究会の報告書が〇一年三月に出された。住宅再建支援の制度化が、国土庁委員会で明確に打ち出されなかったため、大規模災害救助研究会の方向性がややあいまいになったが、逆に制度化などにとらわれずに、救助のあり方の根本にまで遡ってさまざまな議論がなされた。報告書の内容は、災害救助事務取扱要項などにも反映されている。
 ここでのポイントは、(1)災害が起きてから対応する救助法ではなく、事前に何ができるか備えておく。(2)具体的災害シナリオに基づいた救助のシナリオを、避難所単位までの住民ベースまで事前の合意形成を図っておくことが重要。(3)被災早期に多様な選択肢を示すことが重要−という三つが上げられる。
 生活再建の基本的な考え方として、行政による一方的な救済措置だけでは十分なニーズに応えられず、被災者の努力や助け合い、ボランティア等による自発的な支援等を引き出すことが重要とした。そのために行政は、被災者等の自立支援を生活再建の基本理念としつつ、長期的なビジョンを示して支援を行うべきで、被災者が自らの状況に応じて適切に生活再建の見通しをたてるためには、支援策の多様な選択肢を早い段階で提示することによって、被災者が今後の生活再建のシナリオを見いだすことができるとした。また、住宅の応急修理と本格補修、応急仮設住宅の供与と公営住宅建設のように、災救法上の応急対策と復旧・復興対策は連続して一体的に実施され、施策の体系化が図られるとともに、災害対策本部や復興本部等の的確な総合調整が行われる必要があるとした。

 実施体制等のあり方として、地方分権化と共に都道府県の役割が増大したため、一定水準を確保できるよう標準化が重要とし、実務に精通した職員を被災経験の少ない地方公共団体にアドバイザー派遣することを求めた。また、災害対策に不可欠の存在となっているボランティアとの連携のため、防災訓練や研修の実施、活動拠点の提供などで支援し、避難所の情報拠点化や総合的な相談窓口の設置、域外避難した人への広報紙の送付など、情報面での対応も指摘した。
 避難所などのあり方として、(1)安全の確保、(2)水・食料・生活物資の提供、(3)生活場所の提供、(4)健康の確保、(5)衛生的環境の提供、(6)情報の提供等、(7)コミュニティの維持・形成の七つの機能があるとし、時間的経過で初期は安全の確保を第一に、緊急医療等による健康の確保、水・食料等の確保及び初動期の情報の提供・交換等が最優先されるが、その後、他の機能が必要となってくる。その後、ライフラインの復旧や避難者の住居の確保等に伴い、各機能の必要性は減少し、避難所の撤収に至るとした。
 特に、避難所以外で生活する被災者に対しても必要なサービス提供を行い、避難所を地域やコミュニティの防災拠点化することがポイントとし、一定のブロックで避難所ごとの相互連携しての運営を行うほか、避難所でのサービス提供基準の明示と終了基準の設定するとした。また、コミュニティ形成や自主運営のために、小部屋などがある施設の利用を促し、福祉避難所の整備促進を求めた。避難所の自主的な運営を進めるため、ボランティアの協力を得ながら、避難所ルールの早期確立や班編成、リーダーの選出、当番制等を検討すべきで、平時の訓練から住民のコンセンサス作りを指摘した。

 阪神大震災では住宅に被害を受けた半数の世帯が、1週間以内に情報を必要としていた事実を踏まえ、避難所→仮設住宅→復興公営住宅という単線支援ではなく、多様な選択肢をパッケージとして早期に提示をし、被災者の状況に応じた支援を図るとともに、住宅再建支援策等の情報を早期に住民に提供することが重要とした。既存の住宅ストックの活用や、公営住宅の空き家の一時的な使用、民間賃貸住宅の空き家等の活用と、できる限り自宅に居住できるよう応急修理制度の周知や標準化等による利用拡大を求めた。
 応急仮設住宅については、建設用地の確保のための候補地リストの事前作成や、民有地借上の事前協定、被災民有地の暫定借上だけでなく、自己敷地への共同型仮設住宅の設置等についても検討が必要とまで踏み込んだ。また、地区抽選方式や数世帯単位での募集枠設定や、空きスペースを活用した生きがいづくり支援、簡易な環境整備等に対する入居者雇用など、ハードだけでなく、生きがいを持って生活できるよう、自治組織やボランティア、行政の役割分担を明確にして、コミュニティの確保や生きがいづくり、仕事づくりなどの生活支援メニューを用意しておくべきとした。

 さらに、この報告書でのポイントは、最終項で取り上げている「価値対立とコンセンサス」だ。大規模災害時には、普段想定しない事態が生じ、一定の目的のための対策が、他方ではマイナスに働くことも出てくる。できるだけ支援がある方が望ましいが、公的支援には量的限界がある。支援は公平なのが望ましいが、公平性にとらわれすぎると最低線に抑えることになってしまいかねない。仮設住宅への弱者優先入居は、一見望ましい政策のようだが、その結果、初期の仮設住宅に高齢者が集中した。このように、あちらを立てればこちらが立たずと言う「価値対立」が、大規模災害時には生じることを指摘した。

 これらは、当事者も含めた合意が不可欠だが、災害時に根本からの議論をしている余裕はない。そのため報告書では、平常時から「防災計画の改訂や対応のための指針、マニュアルづくり等を通じ、幅広く関係者や住民と十分な検討、議論を重ねたり、自主防災組織の育成、防災訓練、防災教育等の場でワークショップの手法を活用することなどにより、住民等のコンセンサスを形成する努力が不可欠」と指摘している。

2委員会は活かされたか?

 ここまで振り返った2つの委員会の報告は、阪神大震災の試行錯誤を踏まえている。最初の委員会はまず初期に課題になった具体的な手法の整理をし、その後の委員会では被災地の復興の過程を分析して、より難しいテーマにまで踏み込んでいると言える。では、これらが現実の災害時にどう活かされているのだろうか。
 2004年は、集中豪雨、10の上陸台風、さらに新潟県中越地震によって、14県(のべ21県)、137市町村(同149市町村)で、災害救助法が適用された(同年12月5日現在)。台風銀座と言われる太平洋に面した九州・四国の県であれば、「緊急やむを得ない場合には電話により申請」(災害救助事務取扱要項)できる特別基準についても、知識がある自治体担当者もいるだろうが、7月に豪雨災害で被災した新潟県が10月にタイプの違う地震災害に遭ったとたん、十円単位の基準額を気にしすぎて対応が遅れたところもあったようだ。

 一方で、県からの要望を受けて、厚生労働省が住宅の応急修理制度の弾力的な取り扱いについての通知をだした。阪神大震災でも大半が屋根のブルーシート代で、実質的な応急修理はごく一部でしか使われていなかったため、実質的なルール作りは初めて。しかも、重い雪が積もるまでに修理しないと間に合わないので、難しい運用が求められた。また、日常生活に必要な居間やトイレ、台所などという応急修理対象部分の工事代金を業者が県に請求するという方式で、全体額の一部を限度枠まで出す補助金と異なるため、限度額をビタ1文でも超えたら全部が対象外になるという誤解もあった。

 現行の災害救助事務取扱要項には「通常の定型的な事業等で、国の補助金順が定められ、これを超える場合に厚生労働大臣に協議して特別基準を設定する事業とは、いささか、その性格が異なる」と解説され、都道府県の担当者を集めた同省の会議や日本赤十字社で実施する研修会でも強調されているのは、通常業務なら支出にブレーキが踏まれる可能性が高いのに、災救法はアクセルを踏めるという特異性を知っているかどうかが、現場運用をスムーズにするポイントとも言える。阪神大震災の経験を持つ兵庫県内でも、台風23号で被災した豊岡市から「災害救助法の実務を知る行政マンの支援を」というSOSが出されていたほど。実際の現場を動かす市町村の担当者まで、”アクセル型”特別基準を持つ災救法のミソはなかなか知られてはいないのだ。
 二つの報告書では、「救助担当職員に対し、救助に係る実践的な研修を行っておく」、「一般職員の研修においても防災関係科目を積極的に取り入れるべき」とされ、厚労省では、年に1度の都道府県の災救法担当者会議と共に、日赤で行う研修会への参加を求めているが、経験のない担当者に納得してもらうのがなかなか困難だ。都道府県が、市町村に対しても実践的な研修を行うことを求めているが、質の高い標準的なプログラムがないことが、結局は市町村の担当者の無理解にもつながっているとも言える。

 生活再建の基本的な考え方として、大規模災害の報告書では「被災者が自らの状況に応じて適切に生活再建の見通しをたてるためには、支援策の多様な選択肢を早い段階で提示することが重要」と記した。中越地震でも、1カ月後に新潟県が関係制度をまとめた生活再建の手引を作ったり、行政窓口だけでなく建築士や建築組合らも含めた総合的なワンストップサービスの相談窓口を設置する自治体もあるなどの対応も見られた。また、東京都練馬区のように、地域防災計画に他の自治体への救援計画を明確に位置づけていたことから、被災自治体にできるだけ負荷をかけずに現地に支援本部(サポートセンター)まで自前で設置。広報紙の発行業務や、ゴミの収集など、地元で手が回らない部分をうまくアウトソースする活動をした自治体も出てきた。
 省庁再編時に、災害救助法の所管を、少人数の担当者だけで対応させられている厚労省から、旧国土庁よりも権限を持って災害対策全般をコーディネートすることになる内閣府の防災担当に移管させようという検討がなされた。その段階では、自治体間調整のような業務に慣れていない旧国土庁側が消極的になって、そのままとなった。現在でも、内閣府や総務省消防庁に移して、内閣府所管の生活再建支援や、自治体の防災施策全体との連携がとりやすい方がよいのではないかとの指摘がある。一方で、法の運用を知らない部署に移管するマイナスも懸念されるが、これは、研究会報告で重要と指摘された災害救助実務の標準化が充分進んでいないからとも言える。当時、無理矢理にでも内閣府に移管しておけば、主要業務と位置づけられて、標準化の検討が行われた可能性があったのではないか。

 このように、法制度上は、一通りのラインナップはそろっているものの、現実の運用ではまだまだ混乱が少なくない。応急救助のメニューを起きてから考えるのではなく、平時からその地元で想定される災害を念頭に置き、どのような展開があるのかを事前に考えることが求められているが、現実にはそこまで備えられている自治体は少ない。
 避難所開設だけでも大変なことだが、在宅被災者をどう支援するか、学校再開や避難所の閉鎖のタイミングはどうするかなど、決めねばならないことは膨大にでてくる。全てを事前に決めるのは難しいが、その決め方だけでも地域住民を巻き込んで合意しておけば、被災後に住民も当事者として主体的に行動でき、生活再建や地域復興につながる。後手の対応を防ぐ一つのカギは、避難所運営協議会など、従来の自主防災から一歩進んだ形で住民との合意形成の場の活用であることは、「価値対立とコンセンサス」という省庁の委員会報告では異例の項目で訴えているところなのだが、残念ながら、十分浸透はしていないのが現状なのだ。

事前の問題抽出とコンセンサス作りにまちづくりの手法を

 東京都が03年3月に、行政内部向けだった震災復興マニュアルを大幅改定して都民向けの指針とした「復興プロセス編」を策定した。ここには、大規模災害救助研究会のメンバーが官民ともに関わっており、同研究会で議論した「価値対立とコンセンサス」の視点を復興課程でも取り込んでいこうというものだ。阪神大震災では、日頃から地域のまちづくりの取り組みがあった地域では、共同生活状態である避難所段階から復興まちづくりまで発展させることが出来た。避難所の自主運営ができた地域は、地域での暮らしの立て直しの合意形成もしやすかった。平時に地域で問題発掘をし、コンセンサス作りを進め、いざというときには避難生活の段階から地域で復興を考えていく東京都の試みは、マニュアルを見た神戸のNGOが震災の経験がよく整理されて理解されていると水準の高さに感心していたほどだ。

 都は、実際に地域レベルでの取り組みを促進しようと、03年度には練馬区と墨田区内の2地区を舞台に、5カ月をかけて地域協働復興模擬訓練を実施。私も練馬区の西武池袋線中村橋駅近くの貫井地区を舞台にして行われたワークショップに参加した。地元の自治会・町内会とPTAなどで作られている避難拠点運営連絡会のメンバーらが地域の主役で、大学研究者やまちづくり系のコンサルタントが協力し、月に1回の全体ワークショップと、幹事会を5カ月間重ねて実施した。ガイダンスを受けた上で、まちあるきをして危険箇所などの写真を撮って、防災地図を作って地域の弱点を知り、地震後の被災程度をイメージしたうえで、どのような復興まちづくりをすればよいのか、模型を使った仮設市街地を作って発表した。
 04年度には、都内5カ所で実施され、足立区の西新井地区では避難所となる小学校に区民や区や都の職員、研究者、弁護士ら200人以上が集まり、半数近くが泊まり込む宿泊訓練を行った。小学校の体育館に泊まってみるという体験訓練は、最近、各地で増えつつあるが、ここでは、避難所の運営や避難所の閉鎖、時限的市街地という3つの時期を想定した3回のワークショップを2日間に渡って実施し、グループで議論をした。「避難者の安否確認に避難所で張り紙掲示の手伝いができる」とか、「地元に建てる仮設住宅の優先入居が可能か」や、「荒川に避難船を浮かべる」とか「小規模小学校の統合で仮設や復興住宅の建設が進められないか」、「農地や駐車場を活用する」、「地主などとの契約解消のハンコに注意が必要」とか、「地域復興の障害になる恐れがあるとされる個人の自主再建より、地域協働がどうメリットがあるのか判断材料が必要」など、避難生活段階から多様な問題の解決が求められることを、住民として実感するトレーニングが行われた。

 このプログラムは地域の住民関係者が、運営協議会を設置して避難所の円滑な運営を心がけるだけでなく、避難所運営協議会が、今後の地域の立て直しのための地域復興協議会にも発展していくことを狙っている。災害の被災者は、何かの被害者ではないし、社会的弱者ではなく、地域で少しでも備えていれば、そこから前に進めることになる。また、平時であるからこそ、その場にさまざまなプロの支援が受けられる。
 そこから、国や自治体の防災基本計画や地域防災計画のように、自主防災組織や避難所運営協議会、まちづくり協議会などが、行政や専門家のサポートも受けながら、自分たちの地域防災計画や、事前復興計画を作って備えておく。そのための価値対立とコンセンサス作りが、事前の減災にまでつながっていくのではないか。生活の再建や復興には、合意形成を重視して、最短距離よりもやや遠回りで非効率な道のほうが、地域の力がまとまりやすいこともある。日常から、これらのプロセスに多くの住民が参画すれば、平時のまちづくりや地域の魅力アップにつながり、いざというときには、みんなで考えておいた方向で、地域復興を進めていくことができるのではないか。

 災害救助の運用を考える上でのキーになる「価値対立とコンセンサス」について、今、最も進んだ取り組みといえるこの都の事業ですら、まだ、緒に就いたところだ。大学やまちづくりコンサルタント、阪神大震災の支援を経験した弁護士らのエキスパートたちが結集しているからこそ、地域住民の潜在的な力が引き出せているとも言える。いざというときに何が課題になるのか、日頃から気付いてもらい、当事者が取り組む力をより引き出すための周囲のサポートのあり方も、まだまだ試行錯誤の段階でもある。
 03年にワークショップを実施した練馬区は、震災後から避難拠点は地域の小学校だとして、区職員を拠点の担当に振り分け、住民組織と学校PTAと一緒に、議論や訓練を積み重ねてきた。一見、どこでもやってそうな方式だが、10年近くたって、住民との協働の経験を持つ職員が増え、新任防災担当では太刀打ちできないような強者の住民も育ってきたという。支援を受けねばならない状況であることすら分からない被災自治体の現状を見極めたうえで、新潟県中越地震に行政のボランティアとして派遣できたのも、これらの積み重ねがあったからこそと言う。

 阪神大震災の被災地で、生活再建から復興の課程でカギとなったのが「価値対立とコンセンサス」だ。被災前から、少しでもその対立点を先取りし、コンセンサスの道筋を見極めておくこと。そして、避難所暮らしをあなた任せにせず、共同生活ルールを自分たちで作って守っていきながら自分たちでのコンセンサス作りをすることが、生活の再建、地域の復興への道筋となる。行政などに任せるのではなく、それぞれが当事者として立ち向かうことが求められるのだ。
 生活再建や復興への道筋は、被災直後から始まる。そのためには、応急的な段階からの対応が大切であり、状況に応じて「臨機応変な対応が必要」(大規模災害における応急救助の指針)とされる災救法で想定されるさまざまな状況を、避難所単位などで想定していき、事前に問題点を先取りしていく地域レベルでの取り組みが、より広がっていくことが求められる。国や専門家による標準化も必要だが、現場で使う住民や自治体が分かっていることが、被災後の混乱をより少なくする上では不可欠だからだ。

 地域の問題解決能力をどうやって向上させることが出来るのだろうか。解決すべき問題点に当事者が向かい合えるような情報共有のあり方や、解決へのプロセスの組み立て方、合意形成のはかり方の道筋を持っておくことだ。まちづくり協議会の議論が、公園の花壇への水やりのようなレベルから始まるように、避難所のトイレ掃除をどうするかなど、身近で深刻ではない課題から考えていくことも出来るだろう。
 これまで、専門家や行政サービス任せにしてきてしまったつけが、地域の防災力に弱点として現れている。一方で、災害時に自分が出来ることで支援したいというボランタリーな行動は、この国に根付いてきており、一次の活動から地域での担い手としても活躍し始めている。また、災害救援の対応策を、出来るだけ具体的に考えていくことが、都市を中心にした地域コミュニティの再生・創造にもつなげられるはずである。


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