都市の安全性に関する現状と問題点−マスコミの立場から−

第19回「大学と科学」公開シンポジウム『ここまで進んだ日米の都市地震防災』(2004年11月)の講演収録集から。

中川和之(時事通信社) 私は昭和のころから科学記者として地震の取材を何度かしてきました。また、兵庫県南部地震では神戸にもはいりましたし、実家が被災地でした。その後、記者としてだけでなく、いつの間にか情報ボランティアや地震学会の普及行事委員会の仕事にも携わるようになりました。そこで、このようなところでご報告させていただく機会をいただきました。

 マスコミは、いつもあらを探す側ですから、その視点からものをいえということもあったのだと思いますが、きょうはそうではなく、地震災害を想定した都市の安全性を考えていくうえで、マスコミの役割、情報として何を考える必要があるのかを、私の経験なりに紹介できればと思っています。ここでは、マスコミのはたす役割として、ニュースとはどのようなものかをおさらいして、平時にマスコミは何をしているか、災害情報は地域からということをお話ししたいと思います。

 通信社は全国の仕事をしており、地域情報というか県単位くらいの情報、つまり宮城県の情報を日本中に配信するのが仕事です。宮城県の情報を宮城県のためにとか、仙台の情報を仙台のために扱わないため、勝手なことをいうかもしれません。また、かつては行政や専門家から市民に情報を伝えていく過程で、間にはいつもマスコミが入っていたのだと思いますが、インターネット時代の今、専門家に期待することもお話ししたいと思います。

マスコミの役割

 マスコミの役割のひとつは、災害が起きた、いざというときに何が起こったのかを伝えることです(事件報道)。災害だからといって特に何かあるわけではありません。突発的な事件と一緒です。私が地震報道に関心をもち続けてきたのは、究極の事件報道なのではないかと感じてきたからかもしれません。突発事件の報道は、何が起こるかわからないところに面白い点があります。その場でいろいろなことを考え、判断しなければならないため面白いのかなと。

 かつて、東京地検特捜部の取材もしたことがありますが、ある意味で予定調和で、いずれはほとんどが発表される内容なのですが、最後に逮捕するか在宅起訴するか、いつやるかということだけがニュースになってしまいます。明日のか、明後日なのか、来週なのかを毎日夜回り、朝駆けして、微妙な言葉のニュアンスから判断します。

 災害時の報道は、そんな辛気くさい仕事より、もっと社会的にも意味があるといえます。

 一方で、災害時の行政報道があります。専門機関と行政の対応を伝えることです。災害が起きたとき、役所が何をするか、専門家、たとえば大学の先生がきて現場でいろいろをみたといったことを伝えたりします。専門的な情報は、役回りとしてどちらかというと行政報道というか、普段、県庁がどうした、市役所がどうした、何をやろうとしているということと似ています。

 もうひとつ、住民の対応指針を伝えることも役割です。これまではあまりできていませんが、これは阪神・淡路大震災で初めてでてきた分野だと思います。そのなかには生活情報があります。昨年の宮城県地震のとき、こちらでの状況は把握していませんが、新潟中越地震では、紙面にライフラインの復旧状況もある程度まとまったパッケージで伝えていました。それは阪神・淡路大震災で被災地のメディアで生み出されたひとつの手法です。

 こんな人がかわいそうな目に遭っていますといった事件報道や、行政がこんなことを考えていますという行政報道に加えて、さらに、生活に役立つ情報を伝えていることが阪神・淡路大震災後、少し始まっています。

 私も震災前から災害情報の研究会で、ノースリッジ地震やロマプリータ地震の話を伺って、米国の紙面では、住民に対応指針のような情報を伝えているのを知っていました。震災当時は、日本はそのレベルまでメディアは達していませんでしたし、今ももっとできることがあると思っています。

ニュースとは何か

 いざというとき、ニュースを伝えるわけですが、いざというときに伝えていく事件報道、行政報道も含めて、ニュースって何でしょうか。

 マスコミが何を伝えていくかをよくみていく必要があるのは、実はニュースしか伝えていないことです。変わったこと、面白いこと、珍しいことを伝えています。また、絵になる素材を伝えやすい傾向がどうしてもあります。今回の新潟県中越地震でもそうです。もちろん、男の子が救出された現場はすごく絵になるため、皆さん取材します。大きく壊れている場所を局所的に写しがちです。阪神・淡路大震災前、災害情報の勉強会で議論していたのは、何か大きな災害があると、ついいっぱい壊れたところだけ写して、少し引いて全体状況のなかでどうなっているのかはなかなか伝えません。局所的に絵になる部分を過剰に伝えるということが問題になっていました。

LEAD Technologies Inc. V1.01 私たちは事実を伝えようとします。確かにそれは事実かもしれませんが、全体的・客観的な状況でその事実がどんな役割をはたしているのか、普段のことであればバランス感覚が社会には働きますが、災害が突然起こったとき、どのぐらいのバランス感覚が働くでしょうか。(阪神大震災当時の神戸市の臨時記者室、間仕切りの向こうは災対本部(95年1月))

 たとえば、阪神・淡路大震災の4日目の夜、ポートアイランドの倉庫がたぶん通電による火災で、一晩中燃えていたました。その周りには民家など燃え広がる建物はありませんし、危険物もありません。その倉庫が燃えてしまえばおしまいです。消すための労力をかけるより、燃やしきってしまえば終わりというような消防方針もあって、周りに延焼させないようにして対応していたそうです。しかし、東京の民放テレビ局は一晩中、その倉庫が燃えている様子を映していました。火事現場では、普段、燃えているところにはいけません。駆けつけても消防がたいてい消しているため、燃えている絵はなかなかないのです。よく新聞に火事の写真が載りますが、それは読者投稿の写真が多いのはご存じの通りです。そのテレビ局は、燃えていることだけで絵になるから映していたのでしょう。

 もしその放送を避難所でみていたら、どんな気持ちになるかとかはまったく考えないまま、絵になるというだけで何の影響もない火事なのに映し続けていました。私も現地にいて、東京のデスクから「テレビに映っている火事について記事にしろ」とうるさくいってくるのを断るのに閉口しました。

 地震ではさまざまなことが起こるため、「究極の事件で面白い」と思って各種の取材が展開されます。被災者がいて、何か社会の役に立たなければと意識が強く働いてもおかしくないのですが、災害現場であっても特ダネ意識が働きます。

 どこかがある切り口で書くと、それがすごく適切なものであっても、よほど全部のマスコミが書かなければならないような話は別にして、「あっちがこんな切り口だったらうちはこの切り口でやろう」ということになりがちです。

 一方で、横並び意識もあります。派手な写真を撮るために過剰な取材をしたりします。雲仙普賢岳の噴火の際、火砕流に巻き込まれて多くのマスコミの人間が亡くなりました。当時、九大の太田先生は山の斜面を下ったすぐの所にある「定点」と言われた取材ポイントについて、「もっと後ろに下がらなきゃ危ない」と指摘していました。たまたま弊社のカメラマンは、そこでカメラを構えていて火砕流に恐怖を感じていたため、太田先生の話を素直に聞いて安全とされたところまで下がっていたから巻き込まれなくてすみました。「他の社もいるのだから、おまえもいろ」ということは普通よくあるデスク指示なのですが、よく悪例にならわなかったものです。

 マスコミを現在の体質のまま都市の安全性を確保するために役立たせることは困難なのが現状です。自分たちを役立たせようという意識を現場ではなかなか持てません。期待するのは間違いです。

平時に何をしているか

 平時には、専門家、行政と市民の中間媒体であるのがマスコミの仕事です。しかし、どうしても変わったこと、面白いことをニュースとして扱います。ある意味で、当たり前のことはなかなか伝えません。本シンポジウムを聞いていて、ひとつひとつの技術的な側面に新しいことがあっても、やらなきゃいけないことは、ひょっとしたら、すごく当たり前のことが多いと思います。先ほどのステークホルダーの参画といった話も、結局は、もっと市民に身近な町をどうしていくかといった話になります。それは「当たり前」のことで、なかなかニュースでは扱えません。

 そのなかで、地震は割と報道されていると私は思っています。自分がその取材をしたせいもあるかもしれませんが。でもそれは、理学サイドに偏りがちな報道になっているように思います。私は駆け出しの科学記者だったころ、基礎的な研究であることは承知しながらも「地震予知に役立ちそうだ」などという原稿を平気で書いていました。「風が吹けば桶屋場も受かる」というような原稿を書いてけしからんと研究者の方に言われたことがあります。まあ、その贖罪もあって、このようなこともやっているのかもしれませんが。

 災害対策の報道は、行政がよいことをやるのはある意味で当たり前で、やるべきことをやっているんだから、それは伝えるに値しないという意識がどこかあります。また、建築工学分野も重要ですが、なぜあまり伝わらないのかと考えると、どこかで企業の商売になっているからという感覚があるためではないかと思います。

 マスコミは、つい、批評するというか何でもけちをつけます。客観的に伝えるといいますが、何かあらを探してものをいうことが多くなっています。どちらかというと、世の中をスポイルする働きをしているのではと思っています。今、現場にいないので、スポイルに加担せずに済んでいますが。

災害の情報は地域にあり

 災害対策は、社会にかぎられた資源しかない状況のなかで行われます。そんななかで、1人1人の被災した市民も含め、さまざまなことに最大限働かざるをえない中では、被災者や被災地を力づける、勇気づけるという意味でエンパワーメントすることがすごく大事です。事前にスポイルをしているようなメディアがはたして役に立つのでしょうか。

 また、災害情報は、どちらかというと東京発的な視点です。日常的に防災を取材しているのは主に東京です。かつては気象庁中心でしたが、文部科学省の地震調査推進本部や内閣府防災担当。総務省消防庁でも担当記者はそれなりには取材しています。

 ただ、災害はイメージをもつことが大事ですが、日本全体といってもなかなかイメージできません。新潟県中越地震は、映像を通して知ることはできますが、自分が身近に住んでいるところではないため、いまひとつ実感としてイメージできません。ここ宮城県では、去年の地震はイメージできるでしょうし、宮城県沖地震になると地元ですからイメージしやすいと思います。災害はローカルな現象で、さらにローカルな条件が被災程度を左右します。地域情報がポイントになりますが、普段伝えられているのは全国的な情報です。そこにミスマッチがあります。

LEAD Technologies Inc. V1.01 ただ、阪神・淡路大震災でもメディアはかなり役に立つことも行いました。最初に、地元のラジオ局のAM神戸が被災地状況を流し続けました。「どこどこで、どんなことが起こっている」といった地元ならではの細かい情報を流したことが、地元住民にはすごくありがたいことでした。また、神戸新聞やサンテレビのはたした役割も大きなものでした。本社が全壊したため神戸新聞(写真・内部はメチャメチャで全壊判定されたJR三宮駅前の神戸新聞会館、95年1月)はすぐ新聞を発行できなかったのですが、協定していた京都新聞に印刷のための版を作ってもらい、当日の夕刊を夜には発行できました。そして、避難所に配ったりしていました。やっぱり地元メディアは重要な役割をはたします。ところで、大手の新聞社は当初、神戸新聞がだめそうだと、一斉に新聞の切り替えを促す拡張を行ったそうです。そのうちに、神戸新聞は大丈夫そうだと分かって拡張をやめたそうですが、大手の1社だけはそれでも拡張したそうです。

 防災を語るとき、都市一般とかいう話をするのは東京発のことでよいのかもしれませんが、それでは十分なイメージがわきません。仙台の災害について、仙台のメディアがもっと語ってもよいのではないでしょうか。かつて静岡新聞は、心配される東海地震についても、東京発の情報に依存していましたが、現在は地元で情報をとるようになっています。そういうことが大事です。

 伝統的な災害情報を考えるとき、どうしてもテレビの緊急情報が重視される面がないわけではありません。地域メディアが地元のニュースを探していくとき、それぞれの地域で特徴的なことがニュースになるはずです。災害や自然の現象は、それぞれ地域によって異なるわけで、メディアとしても売り物というか、私どもの言葉でいうネタであり、それをもっとうまく使っていければいいのではないかと思います。

 これらがメディア側からの事情です。あとは専門家の側に少し期待することを申し上げます。

専門家は何ができるか

 インターネットの時代になり、マスコミでなくてもそれぞれがメディアになれます。霞が関の中央官庁とマスコミは、従来、過剰に専門家をもちあげ、そのポテンシャル差で飯を食っている面がありました。あえてマスメディアを介さないで直接市民と対話することで、ポテンシャル差をもっと減らすことができます。ステークホルダーの参画も同じような発想だと思います。

 その意味では、マスメディアがもう少し直接的にかかわった事例もあります。阪神・淡路大震災前では、東京で専門家とライフライン事業者とメディアが意見交換する災害情報研究会がありました。阪神・淡路大震災直後には、KOBEネットという研究者間のネットワークに、何人かの記者も参加していました。いずれも私が関わっていますが日本地震学会が記者懇談会、なゐふるメーリングリスト、地震火山こどもサマースクール(写真・第1線の研究者が子どもたちの好奇心に現場で応える地震火山こどもサマースクール(2000年8月、有珠山))といった専門家と市民や子どもとを結び付けようとしています。面白い試みとして、名古屋大学災害対策室が地元メディアとかボランティア、行政と一緒に勉強会をやっています。また、NPO法人の東京いのちのポータルサイトでは、専門家と市民と行政の方が一緒になって防災の絵本やCDをつくったりしています。

 名古屋大学の災害対策室は、01年4月から月1回、現在30回ほど会合を続けています。20数機関が参加し、大学とメディアの人間が幹事になって勉強会を開催しています。普通、記者をこのようなところにいれると、勝手に好きなことを書かれたりするのではと思われるかもしれませんが、その場で聞いたことは必ずもう1回取材するというオフレコベースが成立しています。私は、このような取り組みによって、東海地震の想定震源域が西側に広がった際にも、名古屋では過剰に怖い怖いとはならず、割と落ち着いた報道がなされていたと感じています。

 また、耐震補強がようやく社会のなかで重要性が認識されるようになってきましたが、そのひとつの役割をはたしたのが東京いのちのポータルサイト、耐震補強を促すCDを自主制作しています。河田先生のところにお世話になりましたが、人と防災未来センターの1.17シアターで上映している映像のサマリー版を、館外で上映することを初めて許可していただいています。このCDは、その後消防庁で制作したものの雛形になって、消防庁から全国の自治体に配布されています。また、目黒先生の協力も得て、耐震補強を勧める世界で初めての絵本(写真・地震で家族を失って傷ついた男とビーバーが登場する耐震補強を進める絵本「地震のこと はなそう」、2004年5月、自由国民社刊)も作りました。

 専門家が直接いろいろなところにでていって、メディアを通さず、情報を直接やりとりすることによって、次への備えのための最適解をそれぞれ見い出していく必要があります。

 専門的な知識を誰が、どう伝えるかに関しては、専門家がまず直接、情報発信してほしいと思います。また、市民の側から積極的に専門家を引っ張り出していくのも面白いと思います。市民が、横浜市が作った詳細な地震マップを使って専門家も参画して災害図上訓練をやることもできます。

 市民の側も難しい話でよくわからないことが多いと思いますので、イメージしやすいためのツールをつくってもらいたいです。GPSの観測点が日本中に約1200設置されており、日本列島がプレートの圧力でゆがむ様子がWebサイト上で見ることが出来ます。これから期待しているのは、E−ディフェンスという大きな4階建てのビルをも壊せる震動台です。これを、研究ツールとしてだけでなく、広報ツールとして考えて頂きたいのです。建物が一見、同じように作られていても手抜きをすれば壊れるというようなことがわかるように利用していただくことです。

 このように、みえないものをみせる手段も、開発してほしいと思います。そのようなことが、専門家から直接、メディアを通さないでも、市民に伝えられるツールができれば、一方で、安心感にもつながると思います。
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