到来しつつあるボランティア社会を前提とした
災害救援システムの実現に向けて
21世紀の関西を考える会
ボランティアを含んだ都市・地域防災チーム

1997年8月


実践編 第3章
中央省庁の取り組みと課題

 時事通信社       
社会部科学班 中川和之

 自治体の枠を超える大災害が常に起こりうる現実を考えると、中央省庁がその調整・指導機能をよりよく果たすことは重要である。それと同時に、災害がそれぞれの地域性によって異なる顔をみせるという前提を押さえて置かないと、画一的な対応を想定していては、阪神大震災での混乱の繰り返しとなる。

 そのために、災害対策基本法、防災基本計画で中央省庁が求められているボランティアとの連携、育成、受け入れなどについて、主に各省庁の防災業務計画での位置付けや具体的な取り組み状況が、どれだけ実戦的でかつ具体的なのかを分析し、課題をまとめた。海外からのボランティアを含めた災害支援や、防災業務計画や防災・災害と無縁なボランティア活動については、基本的に検討の対象からはずした

 96年12月末現在で、防災業務計画がまとめられているのは、29の指定行政機関のうち25で、4省庁(法務省、総務庁、総理府、沖縄開発庁)以外は防災業務計画が改定されている。その中で、ボランティアについて計画に何らかの記載をしているのは、国土庁、厚生省、自治省・消防庁、警察庁、文部省、建設省、運輸省、海上保安庁の9省庁である。また、防災業務計画に位置付けはなくても、防災・災害時のボランティア活動と関わりがありうる省庁に施策を確認した。

 阪神大震災以降、見直された国の防災基本計画の中や、防災問題懇談会の提言で、ボランティアについて、各省庁の防災業務計画や各自治体の地域防災計画の中に、ボランティアの事前登録、研修制、コーディネーターの要請、活動拠点の確保、連携などが、それなりに盛り込まれている。防災業務計画などの全体を見渡して、次のような問題点が浮かび上がった。

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1:省庁によって意識の差が大きい

 阪神大震災での経験を何らかの形で防災業務計画に盛り込み、制度化、事業化、施策化しようという取り組みがみられる省庁と、「今後も、現場判断でのボランティアとの連携はあるだろう」(防衛庁)、「雇用保険で求められる求職活動の免除は、今後も同様の大規模災害があれば、同様な措置を取ることになろう」(労働省)とするだけで防災業務計画等での位置付けがされていない省庁がある。やはり、計画で何らかの位置付けをしている省庁では、現在でもマニュアルや指針などを作成する取り組みが行われており、計画に盛り込まれている意味は大きい。

2:一般救援ボランティアの位置付けや受け入れ策は不十分

 米国のように、ボランティアが生活に根付き、災害救援の仕組みができている場合は、登録ボランティア以外の活動を排除することも一つのやり方だろう。しかし、わが国の現状はそこまで至っていないのは明白であるし、登録者だけでは災害救援ボランティアが求められる役割は果たせず、未組織の人のボランティアのマンパワーは重要である。

 しかし、警察庁、海上保安庁、運輸省の業務計画などにボランティア「団体」との連携しか述べられていないように、一般ボランティアの位置付けは不十分である。特に、被災者の災害救援に関して多くの分野を所管する厚生省では、社協周辺に限定したボランティア側のマニュアルしか作られておらず、97年度に設立予定の「災害救助調査研究・研修センター」(仮称)で検討し、97年度に行政側のガイドラインが作られる予定だ。一方で、消防庁も従来からの自主防災組織にウエートを置いた防災業務計画になっており、自治体の受け入れ体制などは「地方公共団体の災害ボランティア対応に関する調査研究委員会」で検討が始まった段階だ。

 今後、これらの場で、支援するボランティアと支援を受ける被災者、自治体側に立った政策の整理が求められる。

 95年12月に国土庁と消防庁が行った調査で、全国991自治体のうち、都道府県で五五・二%、市区町村三八・一%が「地域防災計画に災害ボランティアを位置付けた」としながら、今後の課題に災害ボランティアの需給調整など「受け入れ態勢の整備」を上げた自治体が、都道府県の八〇・〇%、市区町村の七一・四%に上っている。

 支援側のボランティアの検討だけでなく、受け入れる被災自治体、特に自治体の災害対策本部との連携などを、各地の地域防災計画などで位置づけておかないと、阪神大震災の混乱をさらに次の災害でも起こさせることになりかねない。

 受け入れていくべき被災地、被災者が、日常的にどのような準備、体制、心構えをしておくのか、行政がボランティアに本来行政がやるべき仕事を委ねられる仕組みも含めて準備をしておく必要がある。災害時には、臨機応変で行政も民間もボランティア的な精神で活動することが望まれるが、行政機構の特質として、活動や連携にあたって何らかの根拠を明確にしておくことは重要だ。

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3:組織化が進む専門家ボランティア

 一方で、1級、2級の建築士を対象に育成が進む建築物応急危険度判定士が今年度末までに約7万人に達するなど、専門的な技能を持つ人たちによる災害ボランティアへの取り組みは進んでいる。建設省が最も活発で、所管の関連団体を通じて、その能力を活用しようという仕組みが多い。場合によっては、ボランティアという概念からはみ出すほど、行政の補完組織化が進んでいる。

 参加者は自主的で専門家の高い社会貢献意識に支えられているとはいえ、日常からの業界団体としての行政とのつながりを背景にしたボランティア活動である。「災害対策では日常の延長が最も有効で、『顔の見える関係』を有効に使う」という面から、それぞれ各省庁の得意分野を生かすことは重要で、専門性を生かした効率的な活動である。同様の取り組みが可能な分野を持つ省庁での取り組みが求められる。

 一方で、考えておかねばならないのは、「ボランティア」と「動員」の違いである。「あてに出来るボランティア」は必要だが、動員色が強くなることは避けねばならない。そのためには、従来のような行政からの指導という形で話を進めるのではなく、「自主性」を最大限念頭に置いた取り組みが求められる。今後も、さまざまな専門家ボランティアの育成、制度化をしていくうえで、不可欠な視点である。

 また、専門家でも業界団体としてのまとまりがない医師などのボランティアについては、さまざまな取り組みや行政側の受け入れの模索が続いている段階だ。

4:ボランティアの研修・養成も増加

 阪神大震災以前は、日赤にしかなかった防災ボランティアの育成など、災害・防災関係のボランティアの研修・養成も消防庁、建設省、厚生省で盛り込まれている。

 しかし、それぞれの官庁の所管事項を中心にした内容になる結果、消防=応急救助、建設=2次災害防止、厚生=救助・福祉などと限定的になっている。建設省関連のように、ボランティアとして働いてもらう場が明確に分かれている場合は限定的な内容でも有効であるが、行政の縦割りを反映させるのではなく、実際に災害現場での役割分担を想定した内容にすべきであろう。

 文部省は、災害だけを直接の対象としてはいないが、児童・生徒に対するボランティア精神を培うための教育の実施を求めており、また防災業務計画はないものの、人事院が来年度から国家公務員に「災害時の被災者の救助活動と障害者・高齢者の援助活動」でのボランティア休暇制度の導入を決めているのも、育成施策の一環だろう。

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実践編 第4章
災害時のボランティア報道の特性と課題


1 時系列的な報道のパターン

 まず、阪神大震災の災害ボランティア報道のパターンを時系列的に分析してみた。

◆ボランティアの活動=ニュース 〔初期〕3日〜一週間  

 だれもが予想しなかった大量のボランティアに、メディアも驚いた。次々に現地で活躍するボランティアの活動を取り上げた。ボランティアの活動がなんでもニュースになった。

◆違った活動(ニュース)を探す 〔第2期〕1週間〜2週間

 ボランティアが活動していることはニュースでなくなると、一つ一つの美談を探すか、ただ避難所で手伝うなどの「ありきたり」なボランティアではなく、洗濯ボランティア、引っ越しボランティア、外国人へのボランティアなど、珍しいボランティアを探して報道した。また、ボランティアの受け入れが出来ない行政に対する批判や行政とボランティアの役割分担をという記事も一部にみられ始めた。

◆お話記事の増加 〔第3期〕半月〜1カ月        

 変わったボランティア探しは続く。ボランティアと被災者のヒューマンストーリー的な記事も。メンタルケア絡みの記事が増える。長文の寄稿、識者インタビューなども増える。復興関係の専門家ボランティアの活動の紹介もみられた。

◆災害ボランティアとは何か 〔第4期〕1カ月〜3月末  

 ボランティア内部の話、グループ同士の連携話、ボランティアをした有名人の講演なども。記録を残す動きの紹介。メディア自身がボランティアにかかわる動きも。ボランティアへのメンタルケアの必要性、燃え尽き症候群などの指摘。被災地での活動だけでなく、今後の展望などを分析する記事も登場した。

◆次に生かす対策は 〔第5期〕4月〜1年        

 特別な存在としてのボランティアとしてではなく、被災地の各種の活動にとけ込んだ活動ぶりの紹介。各種今後の対策に対するボランティアの組み込みぶり。各種集会や、被災地外での新たな組織化の動き。ボランティア団体の運営の実態などがようやく取り上げられ始めた。


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2 大衆化されたボランティアを知らなかったマスメディア

 ボランティアをする人に対する報道の仕方は、福祉系のボランティアを前提とした特別な人たちという単純な切り口から、徐々に「あたりまえ」の存在として、その広がりぶりが紹介されるようになっていた。しかし、阪神大震災までは、まだ「先駆者の時代」であり、ボランティアがここまで大衆化される存在になるとはマスメディアは見通せていなかった。

 また、災害救援ボランティアの存在は、雲仙・普賢岳噴火、北海道南西沖地震の際に、その活動ぶりが報道された。また、米国のノースリッジ地震の際のボランティアの活動ぶりも紹介されていた。しかし、国内の活動はまだ少人数で、米国の事例もボランティア先進国での活動として、一部に認知されているに過ぎなかった。

 大衆化されたボランティアも、災害ボランティアもほとんどのマスメディアは知らないまま、阪神大震災で災害ボランティアと向き合うことになった。その結果、現場で起きているさまざまな事象を総合的に捉えられる言葉を持たずに、目の前の事象をちぎっては投げ、ちぎっては投げの断片的な報道が多くなってしまった。

3 「白黒イズム」と「現場主義」とが報道の奥行きをなくした

 マスメディアが持つ特徴として、できるだけ物事を単純化して捉えようとすることがある。限られた文字数の中で、何らかの事象を取り上げようとすると、どうしても単純化しようとする。大量な情報が溢れている現代、情報の受け手である読者や視聴者に何事かを伝えるためには、ある程度の枠を当てはめるのはやむを得ない面もあるが、往々にして単純化しすぎて、本来、簡単に分化できないことも「良い者」「悪者」を明確にしてしまいがちだ。簡単にレッテルをはるので「レッテリズム」とか、物事を白黒単純化させるので「白黒イズム」として、指摘されている。

 これは、災害ボランティアに関わらず、すべての報道に共通する性質であるが、ボランティアに関してはすべて「良い者」に分類され、取材者としてボランティアと住民、ボランティアと行政が対峙した際に、双方の言い分がそれなりに正しいことを把握した記者は少なくないにもかかわらず、さまざまな試みも一面的、表面的なとらえ方がなされてしまった。本来は、手を携えて復興を図るべき被災地の住民と行政の間をつなぐ役割も持つ災害ボランティアを捉えるには、単純に割り切れない、中間領域に対する言葉を持ってマスメディアが表現する努力をしなければならない。そうでなければ、ますますマスメディアの信頼は失われるだろう。

 もう一つの問題は、「現場主義」にある。記者が現場で見たことを報道する。これは、一見正しいことのように見えるが、どれだけ広い視野を持ってその現場を観察、取材できるかが、奥行きのある報道のカギになる。しかしマスメディアには、大衆化されたボランティア、災害ボランティアについての知識がほとんどなく、また災害ボランティアについて、一定の論を持った研究者も少なかったため、表面的な現象だけをとらえた底の浅い、ヒューマンストーリーとしての美談的な報道が多くなった。

 個々のボランティアが活躍している場面の報道は、その場をみたまま取材していればいい。しかし、災害ボランティアをめぐる全体的な動き、今後の展開などについては、1カ月以上経ったころになって、ようやく報道されるようになった。また、現場にとらわれるあまり、広域的な視野を持てず、先に指摘された西宮での取り組みと、神戸での取り組みの差異について指摘されるようになったのは、3カ月以上経ってからだった。

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4 災害ボランティアの問題点をよく知って報道する

 単純に、災害が起きた際に「ボランティアが続々来ている」という報道がなされることで、ボランティア熱を加速するメリットはある。しかし、「ボランティア=すべて善」というステレオタイプ的な記事が大半になる。実際、現場で取材を重ねるうちに、行政との連携の仕方や、ボランティアの撤収と地元への引き継ぎの善し悪しなど、もう少し奥の深い問題を感じる記者も少なからずいたはずだが、語るべき言葉を知らず、その図式を覆すのは難しかった。

 例えば、災害医療で使われる「トリアージ」という言葉を考えてみよう。災害時に限られた医者や医療資材をより有効に使うために、軽傷者の治療を後回しにして、重傷者から優先的に治療をするためなどに行われる選別のことだが、マスメディアではこの言葉は「善」として受けとめられるようになっている。実際には、通常の医療体制であれば助かる可能性がある人も、その場の状況次第でより助かる可能性が高い人を優先し、ある時点で見捨てることもやむを得ないという厳しい選別なのだ。そうであるにも関わらず、その言葉で報道の受け手側もその深刻な事態も承知するという関係が出来上がっている。災害ボランティアの活動にも、同様の限界があることの認識を、マスメディア関係者が知っておくべきである。

 確かに、災害時に関わらず、ボランティアは自主性が本分であり、義務や責任とは無縁と受けとめられている。災害ボランティアは、「気軽に」参加して「かけがえのない」体験を共有できる貴重な場である。しかし、災害時のボランティア活動に関して、例えば「活動しすぎない」(燃え尽き症候群にならない)、「地元が主体」、「撤退時期を早期に見極める」、「行政に必要以上に逆らって混乱を拡大させない」など、この報告書でも指摘されているいくつものキーワードは、災害ボランティアとして活動する場合のある種、「義務」であり、「責任」であるはずだ。それだけに、マスメディアはそれをもっと知っておく必要があり、それによって、災害時により有効な活動が行われることにもつながるはずである。

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5 災害ボランティアの調整組織からの情報発信が重要

 災害時に、マスメディアは主に行政などの災害対策本部から、全体状況の情報を入手する。先に指摘した現場主義的な視点で集めた情報と、災対本部からのある種の権威的な情報を組み合わせて報道を行う。阪神大震災では、災害ボランティアの活動は、現場での取材が中心になってしまった原因の一つは、NVNなど広域的な活動状況を把握している広域ボランティア組織の広報機能が十分ではなかったことと、マスメディア側がボランティア組織の役割を理解していなかったためではないか。

 確かに、NVNなどの広域ボランティア組織への取材はそれなりに行われたが、受け身だけでは不十分だ。一定の行政区ごとに設けられるべき広域ボランティア組織は、マスメディアの取材を待つだけでなく、積極的に広報活動を行っていくべきだ。また、その際には情報の信頼度の確保を十分念頭に置き、マスメディアで間違った報道や一方的な報道がなされないようにしなければならないし、現場のボランティアや被災者が過剰な取材攻勢に遭うのを避けるような調整も求められよう。

 日本海の重油災害において、インターネットを通じて行われた各地のボランティア本部の情報発信は、情報の信頼度の確保の点で、不十分だったところもある。まだ、試行錯誤は続けられるだろうが、マスメディアだけでなく、インターネットなど、メディアの特性の応じた情報発信を工夫していかねばならない。

 また、災害時にはマスメディアも「いかなる防災体制を敷こうとも、想定された被災以上の事態に遭遇するのが災害」であることを前提に、闇雲に「権力批判」に走ることなく、被災者の救援を第一義に置き、災害ボランティアの活動がスムーズに行われるよう、メディアを提供していくという視点で報道することが求められる。逆に言えば、災害ボランティアの活動の特性をよく知り、その活動を阻害しかねないような「ただ見たまんま」の底の浅い報道になっていないか、検証しながら取材・報道を行うべきである。

6 今後に向けた実践的な取り組みの拡充を

 災害時におけるマスメディアの報道のあり方については、メディア自身もまったくその場限りで経験を積み重ねていないわけではない。「東京震度5」をきっかけにして主に放送記者とライフライン、研究者、行政の担当者が集う「災害情報研究会」(設立発起人・廣井脩東大社会情報研教授ら)や、阪神大震災をきっかけに同様の「大規模災害発生時におけるライフライン情報と放送の役割」をテーマにした放送関係者とライフライン関係者の研究会がスタートするなどの試みは行われている。

 これらは、災害ボランティアを直接念頭には置いていないが、災害時にどのような報道をすべきかや、安否情報、生活情報などの視点は、災害情報研究会で培われ、阪神大震災にも生かされ、ラジオ局の共同取材・報道の実験なども行われている。また、NAD関西にはマスメディア関係者も参加している。

 全国からの救援ボランティアや救援物資は、いずれかの段階で必要性がなくなるが、それをどのように伝えるか。日本海の重油災害でも、3月末で活動終了がマスメディアで伝えられると、一気に参加者が減少して、現地の作業スケジュールが立たなくなったという実態もあった。また、ボランティア活動を「気軽に」することは可能だが、それに伴う「責任」や「義務」をどう伝えるかも、難しいことだ。

 全国的なNAD構想の展開などから、マスメディアの関係者も参加した日常的な地道な情報交換が行われる中で、これまで指摘したような問題点の解決策を展望していくことが期待される。


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